コラム 2017.05.15

創部42年目で初の全国舞台を目指す 三重県立四日市工業高校

創部42年目で初の全国舞台を目指す 三重県立四日市工業高校
練習の合間を縫ってコーチングする四日市工・斎藤久監督(中央黒のTシャツに紺の短パン)。
後方にはコンビナートの煙突が見える。
 四日市工業高校は初の花園を目指している。
 昨年4月、斎藤久が保健体育教員として赴任。ラグビー部のなかった朝明を全国大会6回出場にさせたノウハウを落とし込む。
「できたら、この秋にはひっくり返したいなあ。そうなるようにやらないと」
 逆転をもくろむ相手は、昨年度7回目の全国舞台を経験した、その朝明である。
 昨秋の第96回全国大会予選は準決勝で8−64、朝明は決勝で木本を78−5で降す。
 今春の第69回県新人戦(東海大会予選)では決勝で12−68と敗れている。
 点差に開きはあるが、ファイナルの2チームに勝ち上がる力はついてきている。
 地元で「四工」(よんこう)と呼ばれる三重県立校の夢は現実味を帯び始めた。
 主将はWTBの横山竜己(3年)だ。斎藤の教えを受けて2年目になる。
「先生が来て、全然違うラグビーになりました。1年生とか下のチームも上と同じ練習をするようになったし、みんな平等に成長させてもらっている感じです。練習時間も90分から120分。短く集中するようになりました。やりがいを感じています」
 土のグラウンドの東側には、四日市を象徴する石油化学などのコンビナートが広がる。白と赤の2色に塗られた煙突を見上げながら、走り、当たり、寝て、走る。
 今年4月には1年生27人(うち女子マネ3人)が入部した。
「まだまだ強化の前段階やから絶対数はほしいんよ」
 合計部員は67人(女子マネ4人)になった。ケガ人が多くとも、試合に即した実戦練習は可能だ。「数は力」を実践できている。
 1年生は白の体操服で楕円球を持つ。初々しい中に初心者の朽木泰智がいる。
 父は2010から2年間、トヨタ自動車監督をつとめた泰博。伯父は英次。父と同じCTBとして日本代表キャップ30を持ち、同様にトヨタ自動車監督もつとめた。
 中学時代、陸上部で作り上げたスピードはすでにチーム内でトップレベルだ。
 ラグビーを選んだ理由を話す。
「お父さんの映像を見たらとっても格好よかったこともあります。それに、ラグビーなら高校から始めてもチャレンジできるし、陸上で鍛えた脚も生かせる、と思いました」
 市川颯輝は経験者である。四日市や桑名のジュニアラグビースクールに所属した。父・智康は斎藤の朝明時代の教え子である。1996年に近鉄に入社。今はライナーズと呼ばれるチームに籍を置いた。FBだった。
 現在は名古屋駅で駅員として勤務する。
「お父さんがラグビーの話をする時、いつも最初に出てくるのは斎藤先生です。『すごい先生だった』とよく言います。だから僕もそんな先生にラグビーを教えてもらいたい、と思ってここを受けました」
 斎藤は内申書の入学基準を口にする。
「5段階でオール4ないとしんどいわ」
 四工の創立は1922年(大正11)。今年96年目を迎える。機械や建築など7学科構成。偏差値と就職実績は等しく高い。
 受験失敗のリスクを背負いながら、朽木や市川など最上のラグビーを経験した父親たちは息子を預ける。本人たちも喜々とやる。
 そこには指導者と学校の成熟がある。
 ラグビーに秀でる血を引く新入生たちが集まって来ても、斎藤は頭を低く、腰を折る。
「主張しないで、環境になじむ。こっちはよしてもらわなあかん立場やでな」
 よしてもらう=仲間に入れてもらう。
 天然芝グラウンド、ラグビー部寮、試合相手が先方から来てくれた過去とは決別する。
 まずは部活としても、教員としても、市民権を得なければならない。
 風向きは悪くない。
 4月には県の強化指定クラブに選ばれた。来年の入試では推薦枠が持てる。ラグビー種目では朝明に続き2校目。学校としての強化指定は陸上やウエイトリフティングなど7クラブ目。この数字は県下最多である。
 さらに、同月の定期異動で教員コーチが2人加わった。関東学院大出身の渡邊翔(地歴公民)、中京大出身の飯田真規(保健体育)である。指導層は厚みを増す。
 5月21日には、合同を含め8チーム参加の第67回県高校総体(春季大会)が開幕する。
 主将の横山は目標を掲げる。
「優勝です」
 四日市工は初戦を津工と戦う。2つ勝てば決勝で朝明と対戦する公算が強い。秋の本番に向けての前哨戦になる。
 これまで、県下における全国大会出場校は6つ。松阪商、津工(久居東時代を含む)、志摩、木本、四日市農芸、朝明である。
 四工の創部は1976年(昭和51)。部ができて42年目で初の全国切符をつかむため、実りのある春シーズンを送りたい。
(文:鎮 勝也)

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