国内
2016.11.23
「自分はなぜこんなにわがままを」。帝京大・重一生、献身で明大戦勝利つかむ
後半27分頃。大学選手権7連覇中の帝京大が、自陣22メートル線上で危機を迎え右側のスペースを攻め込まれる。
「(圧力を)かける。取りに行く。最低でも、(攻めの)テンポは遅らせる」
ここで眼光を光らせたのは、重一生。帝京大の背番号13をつける4年生で、身長170センチ、体重88キロと小さくとも幹の強さには自信がある。背走し、22メートル線付近の接点へ回り込む。身体をぶつける。
明大の反則を誘い、ピンチを防いだ。
「まずはディフェンスから。まずはボールをゲットしないと、アタックもできないので」
11月20日、東京・秩父宮ラグビー場。帝京大は明大との全勝対決を42−15で制し、対抗戦Aの6年連続優勝を決めた。
この日、関東大学対抗戦Aの今季6戦目にして2度目の先発機会だった重も、アウトサイドCTBとしての役割を全う。大外からせり上がる組織防御の歯車として、持ち前の嗅覚と身体の強さをアピールした。
件のシーン以外では、パスをもらったばかりのランナーへの鋭いタックルで目立った。
前半は守備網の凸凹を突かれ、「コミュニケーション不足で抜かれたところがあった」と反省。「試合中のコミュニケーションが直らないのなら、自分が先に前へ出る。抜かれる前に潰そう」と思い直していたのだ。
明大のインサイドCTBである梶村祐介には、こう言わしめた。
「重さんのディフェンスはそこまで前に出てこないと想定していたのですが…」
もともとは最後尾のFBだ。その1つ手前のCTBに入るうえで、本職でプレーした時を思い返す。
相手から遠い位置で待ち構えるFBにとって、味方のCTBを突破して勢いに乗ったランナーは止めにくい存在だった。重はこうした「自分がプレーしていたポジションの気持ち」を踏まえ、CTBとしての決意を固めたという。
「FBの選手にはディフェンスをさせないで、自分が前で止め切ろう」
大阪・常翔学園高時代は、文句なしの花形役者だった。2年時から高校日本代表に入り、2012年度の全国高校ラグビー大会では、粘り腰でのラン、劣勢局面でのターンオーバーなど、スコアに直結するプレーを連発。日本一に輝いた。
帝京大でも1年時からファーストジャージィに手をかけたが、不動の先発メンバーにならぬまま最終学年を迎えていた。故障などで戦列を離れたこともあったが、何より、岩出雅之監督らの確たる信頼をつかみ切れなかったか。
思い通りにいかない日々にあって、進化させたのは心の持ち方だった。殻を破ったという「2年生の時の終盤」の瞬間を、重はこう振り返ったものだ。
「ふと、自分はなぜ、こんなにわがままを言っているのだろう…と。せっかく試合にも使っていただいているのに、『あれがイヤ』『こんなプレーがしたい』とか考えて…」
今回の守備の人としての活躍の裏には、帝京大の認める「大人」への転向があったか。主力組に手が届かないなかでも懸命に練習する仲間や先輩の心に、改めて想像力を働かせたという。
「監督からもいろいろとご指導がありましたし、出られない先輩が頑張ってくれたり、出られる先輩がそれに応えようというやりとりをしたり…というシーンがあちこちで見られた。環境に支えられた、というところもあります」
一方で岩出監督は、考えていた。大舞台に燃える重の爆発力は、ここぞの季節に活かしたい、と。晩夏に報道陣とかわした雑談の延長で、重の話題に応じたことがあった。ここでは「やっぱり、お前しかいない」と、人の肩に手を置く仕草をした。シーズン中盤戦以降、重にどんな声をかけてジャージィを渡すかをイメージしていたようだった。
そして11月。ブレザー姿で両手を腰の前に合わせる重は、こうも続けた。
「スタートで試合に出る。責任感が、変わってきます。出られない選手もいる。出られるのであれば、どこでも全力でやる。帝京大に入って、変わった。1年生の頃は高校上がりのわがままだったんですけど、上級生になるにつれて、そういった気持ちが出てきました」
卒業後は神戸製鋼に進む。このチームのレジェンドで、10月20日に逝去した元日本代表監督の平尾誠二さんとは、電話で話したことがある。
「来年度、一緒に頑張りましょう、と。その言葉をいただいたので、来年度も頑張ろうという思いがあります。コンタクトプレーで激しく、ディフェンスで激しく。アタックでは、相手のラインを切れる…。もしCTBとしてプレーするなら、そういうプレーヤーになりたいと思います」
ラストメッセージを反芻しつつ、学生生活のクライマックスを熱く過ごす。
(文:向 風見也)