女子 2016.06.06

すっぴんは…。青学大ラグビー部史上初女子選手・江渕まこと、秩父宮を駆ける。

すっぴんは…。青学大ラグビー部史上初女子選手・江渕まこと、秩父宮を駆ける。

ハードタックルとボールキャリーが持ち味の江渕まこと。(写真/松本かおり)

 Rugirl-7の初優勝で幕を閉じた太陽生命ウィメンズセブンズシリーズ2016東京大会(6月4日、5日/秩父宮)。頂点に立った者以外もそれぞれが持ち味を発揮し、チーム間の実力差が小さくなったことを感じさせる大会だった。
 一人ひとりのバックグラウンドが違う。それが女子ラグビーの魅力のひとつでもある。選手たちと話してみれば、その情熱に引き込まれることも少なくない。今回も独自の道を歩む選手に会った。

 単独チームでは出場できないチームの選手を中心に構成されたチャレンジチーム。彼女たちは2日間で2勝を挙げ、ボウル準優勝という成績を残した。そのメンバーの中に、青山学院大学ラグビー部に所属している選手がいた。福岡高校から今春入学した江渕まことは、創部93年の歴史を誇る同大学ラグビー部史上初の女子部員(プレーヤー)だ。日頃の練習を男子部員とともにおこない、試合経験は東京フェニックスRCにて積んでいる(今回はフェニックスの登録メンバーに選ばれず)。将来の目標は「15人制の女子日本代表になる」ことだ。

 福岡高校1年の終わりにラグビー部の門を叩いた。それまでは陸上部。100mハードル走、砲丸投げに取り組んでいた。和白中時代はハードルでこそ夢は叶わなかったものの、リレーで全国大会へ出場。しかし高校入学後は、猛練習だった中学時代との空気の違いに悩み、「このまま続けていても…」と決断。楕円球の道に入った。
「体をぶつけることが好きだったんです。それと、夢乃(野田/現・立正大で福岡高校時代の同期/15人制女子日本代表)は昔から(ラグビーで)有名で、高校でも表彰を受けたりしていました。それを見て、女子でもラグビー部に入れるんだと知って、入部しました」
 父・茂友さんはサニックス(現・宗像サニックス)の初代主将。それは運命だったのかもしれない。

 男子と一緒に練習した高校時代。走り、ぶつかり、練習試合にはPRとして出場した。
「大学でも、(監督に)入っていいよと言われるだけでなく、自分からどんどん練習に加わるようにしています。高校時代は1、2年生とならコンタクトの練習も普通にできていたのですが、大学生は体の大きさもパワーも全然違いますね」
 そう話す表情は明るかった。より高いレベル、強い強度で練習できる環境が嬉しくてたまらないのだ。高校時代はスクラム練習も試合も3番を志願し、最前列でプレーしていたが、大学のスクラム練習では1番に入っている。

 PRで日本代表になりたい。すべての行動を、その思いが貫いている。
 進学先を選ぶときもそうだった。高校3年時に志望校を決めるとき、各大学のラグビー部に連絡した。
「女子でもラグビー部に入れますか?」
 そうやって決めたのが青学大だった。
「将来は日本代表になりたいので、戦う相手は外国の選手です。だから、普段から男子と一緒に練習していないと強くなれないな、と考えました」
 気合い十分。自身の持ち味を「体を当てるプレー」と語る江渕は、秩父宮でもハードタックルを連発し、相手を引きずって前へ前へと出続けた。
「(周囲にはラグビースクールからラグビーをやっていて)パスやステップが得意で、うまい選手はたくさんいます。私はコンタクトやマインドの面で勝負したい。初心者なりにやれることはあるはずですから」

 高校卒業時、2年時まで監督を務めていた森重隆氏(現・日本ラグビー協会副会長/元日本代表主将)から手紙をもらった。そこには、「男子顔負けのタックルで盛り上げてくれてありがとう。いつも感動していました」と記してあった。目標とする選手は日本代表の最強ペネトレーター、アマナキ・レレィ・マフィ。屈強の体を得るためにも一人暮らしの自炊生活は、専門家のアドバイスを受け、栄養のバランスを考えておこなっている。
 迷いなく目標に向かって歩を進める18歳。目下の悩みはただひとつだけだと笑った。
「アオガクですから、学内の女子たちはお化粧バッチリなんですよ。だから私も、すっぴんというわけにはいかないんです」
 キャンパス内では、戦う顔はしまっている。

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