海外
2016.02.04
大野均、37歳。後悔したくないから、サンウルブズのオールドルーキーに。
サンウルブズの大黒柱となる大野均(撮影:?塩隆)
世界最高クラスのリーグ、スーパーラグビーへ日本から参加するサンウルブズは、2月3日に始動した。5日には東芝のLO大野均も合流。2004年の初選出から日本代表の常連だった名黒子が、オールドルーキーとして強豪国の猛者たちに挑む。
日本代表では歴代最多の96キャップ(国際間の真剣勝負への出場数)を獲得。朴訥な人柄でファンからの人気も高い37歳だ。
地元の福島県郡山市にある日大工学部キャンパスで楕円球と出会うや、人づてに入部試験を受けた東芝で一気に台頭した。身長192センチで体重105キロという体躯と「考えるのではなく、走りながら考える」という献身的な資質が買われ、4年に1度のワールドカップ(W杯)へは2007年のフランス大会、11年のニュージーランド大会、15年のイングランド大会と、3度連続の参加を果たした。
特にイングランドでは、9月19日に過去2回優勝の南アフリカ代表とのプール初戦に先発。34-32で自身初のW杯の白星を挙げ、タッチライン際で涙を流した。
サンウルブズ入りを決めたのは、その約3週間前だった。
かねて「現役でいる限りは桜のジャージィは憧れ」と言い続けるLO大野は、2019年の日本大会への出場を目指すにあたり「その争いからいったん退くと、また戻るにはエネルギーが必要」と考えていた。
一方、ジャパンと連携を図るとされるサンウルブズは発足こそ決めたが、当時はメンバーが揃わずに消滅の危機に瀕していた。同年春には入団の誘いが来ていなかった大野は、8月下旬、運営側の懇願に近いオファーを受諾。サインに至った。
「オファーが来ているのに、疲れているので断りますでは絶対に後悔すると思った。協力します、と。辞退する選手が多いなか、自分に順番が回ってきた。デッドラインぎりぎりでした。それも何かの縁かな、と」
2007年から5年間続いたジョン・カーワン ヘッドコーチ(HC)政権下では、なかなか出番が得られず苦しんだ。2011年のW杯でも、先発出場は控え主体で臨んだニュージーランド代表戦(9月16日/ハミルトン/●7-83)のみにとどまった。その時は「なぜ大野が出ていないんだと周りに思われるよう、練習で気が抜けなくなった」と気丈に振舞っていたLO大野は、こう意気込んでいる。
「身体が大きな相手と戦う。(持つべき姿勢は)ジャパンと一緒ですよね。1人で止められないところを2、3人で襲い掛かって。そしてすぐに立ち上がって、守備の枚数をそろえる。アタックでは我慢してボールをつなぐ…。また新しい指導者のもとでできることも、自分にとっての楽しみです」
サンウルブズの指揮官であるマーク・ハメットHCは、カーワンと同じく元ニュージーランド代表。「キンちゃん」の愛称で知られるLO大野は、新たなボスとも「リーダーへのリスペクトは必要」との思いで対面するだろう。強豪国のクラブとの戦いが続く過密日程にも、「まぁ、そんな感じで12年もやってきたので」。タフに挑む。
(文:向 風見也)