さらば! 水道橋の最強ゴリラ 竹中 清(スポーツライター)
『RUGBY REPUBLIC』を創った男が去っていった。1か月前に送別会をやって、なんか、もうあんまり思い出したくなかったんだけど、やっぱり、あの人のことは書いておこう。絶縁状だ。そんくらいの気持ちですよ、こっちは。
ボクを怒らせたのは、写真の男です。大学時代にアメフトに熱中して、なかなかの選手だったらしい。でも、私的にスポーツカードを作るあたり、ロクなもんじゃない。一度だけ、この男にぶん殴られそうになったことがあったけど、歯向かわなくてよかった。誰かが言ってた、アイツは水道橋の最強ゴリラだと。
ひらめきと遊び心を大切にし、行動力があり、熱血漢で、信念に生きる敏腕プロデューサーだった。新たに、どうしてもやりたいことができたらしい。
「オレはラグビーマンガを作るんだ。映画もやるぞ!」なんて言ってたけど、本当は焼肉店を経営してボロ儲けを企んでるに決まってる。いつかそんな人生設計を聞いたような気がする。じゃなかったら故郷でアイドルグループを作るつもりだよ、あのオッサン。ミーハーぽかったからな。でも、大手出版社のたしか部長だったはずなのに、辞めなくてもよかったんじゃない? どうかしてるよ。うるさい男からの電話がもう鳴らないと思うと嬉しくてたまらないんだけど……、2019年までみんなでがんばろうって約束したじゃないですか。なんか、心に穴が開いた。
いまから5年前の2月。六本木で警備員のアルバイトをしていたボクは、この男に、とある高級焼肉店に呼び出された。ソフトテニスの機関誌や本を作ったり、講演イベントに関わったり、社会人駅伝チームの記念冊子を作ったりと、以前からこの人のもとで働かせてもらっていたんだけど、そのうち、ボクは引きこもりになって300万円の借金を抱えていた。警備のバイトである程度お金が貯まったら、マカオで一発逆転の大博打をするつもりだったのに。ジャマされた。
「ラグビーのウェブサイトを立ち上げようと思うんだよ。インターネットでも、たくさんのラグビー情報を発信できるように。2019年のワールドカップが日本で開催されることが決まったろ。オレたちも何か始めないといけないと思うんだよ。盛り上げるためにさ」
スタッフになれと言う。ボクは巻き込まれたくないと思った。すごい借金があるからバイトで精いっぱい、無理ですと返事をした。スポーツライターを志していたくせに、怠けて挫折して自暴自棄になっていたから、もう、お世話になったこの人の顔も見たくなかった。
「おまえ、そんな簡単に夢をあきらめられんの?」
ウルセー。また説教が始まった。オレは借金返済で頭がいっぱいなんだよ。ほっといてくれ。
「じゃあその300万円、こっちで何とかしてやるよ。●●ちゃん、貸してやってくれよ」
強引なこの男は、同席していた親しいデザイナーに無茶苦茶なお願いをした。しかも、あんたが貸してくれるんじゃないんかい! どっちにしても、ボクは人様にお金を借りることだけは嫌だったから、話を切り上げて焼肉店から出ていくつもりだったんだけど、その優しいデザイナーの方があっさりと「いいよ」と笑った。だから、もう断りきれなくなって、借金返済の立て替えは自分の家族に頭を下げることにして、結局、このゴリラとまた一緒に仕事をすることになったのだ。
「ギャラ、月80万円振り込んでくれるらしいよ」。もうひとりの恩人、同席していたラグビーマガジンの編集長がそんな冗談を言ってボクを元気づけてくれて、この人たちと一緒にやっていこうと決意した。
サイトの名前は『RUGBY REPUBLIC ラグビー共和国』に決まった。編集長の案だ。さすが、センスがある。ロゴには「2019」の文字をあえて入れた。日本で開催されるラグビーワールドカップに向けて、この国のラグビーをもっともっと盛り上げようという思いを込めて。この事業がいつまで続くかわからないけど、2019年までは、なんとかみんなでがんばろうや、と。
「海外ラグビーに力を入れましょう。野球ファンがメジャーリーグ、サッカー好きが欧州チャンピオンズリーグとかを熱く語る時代に、ラグビーも世界に目を向けなくてどうするんですか」
「でも国内にもしっかり目を向けよう。セブンズ、女子ラグビー、ジュニアもカバーしたいね」
「ラグビーゲームとかもやれないかな。ゴールキックを競うような簡単なやつでいいからさ。動画配信とか、ラグビー美女特集、トークイベントもやりたいね」
サイトのオープンは1年後。企画会議はいつもワクワクした。
「PV(ページビュー)数の目標は月500万。そのくらいは読者に見てもらいたい」とプロデューサー。
「500万? 無理に決まってんだろう。おまえ、ラグビーの競技人口どれくらいか知ってんの?」と、ゴリラより実は強そうなカバ似のラグマガ編集長。
「12万人くらいだっけ。世界的にも多い方なんでしょ? ラグビーファンも入れたら、いけるでしょ。ワールドカップが開催されるんだよ、この国で。そのくらい注目してもらわないと。500万PVどころか、もっともっとだよ。いけるって。というか、目指さなきゃ」
熱いゴリラが住むまちの隣の駅近くに暮らしていたボクは、深夜に呼び出されることもよくあって、嫌がらせかオッサン、と思うこともあったけど、そのくらい彼は真剣で、妥協を許さなかった。
そして、2011年3月、日本が大震災で混乱のさなか、『RUGBY REPUBLIC』は産声を上げた。希望を胸に。やるしかないと。
当初、4、5人で作っていたラグリパは、いまや10人近くが定例会議に参加するようになった。ラグビーマガジン編集部のスタッフは雑誌作りだけでも忙しいのに力を貸してくれて、システム担当者や営業の人たちも必死に汗を流してくれている。ライターやフォトグラファーの方々も入れると、30人近くが関わっている。
おかげさまで、多くの読者の方にご覧いただいています。まだまだ不足しているところも多いラグリパですけど、この秋、リニューアルします。パワーアップする予定です。
今年4月中旬、いまボクが住んでいる福岡に水道橋の最強ゴリラがやって来た。
「太宰府天満宮にお参りに来たついでにね」なんてとぼけて、出版社を辞めるつもりだと打ち明けてくれた。理由はいろいろ聞いたけど、突然のことで、ショックでよく覚えていない。ただ、すごく分厚い企画書を見せてもらって、新たなメディアでチャレンジをしようとしているのはわかった。変わらないのは、スポーツを、ラグビーをもっと盛り上げたいという気持ち。マンガ、映画……、彼の頭の中にはアイディアがいくらでもある。
ゴリラが東京に戻っていった数日後、『案山子とラケット〜亜季と珠子の夏休み〜』という映画を観に行った。ソフトテニスの映画。彼が手がけたものだった。もうすぐで上映終了になると聞いたから、仕事をさぼって観に行った。
すてきな映画だった。マイナースポーツと揶揄(やゆ)されることもあるソフトテニスだけど、その白球に青春をかけてきたボクは、嬉しくて、涙をこらえるのに必死だった。エンドロールでプロデューサーの名前を確認したとき、ボクはあの人に感謝すると同時に、きっと、観る者を熱くするラグビー映画も作ってくれると確信した。
彼が長年、仕事の疲れを癒したであろう東京・水道橋の飲み屋街で送別会がおこなわれた。ボクは改まって感謝の言葉を伝えなかった。もちろん、いままでのうっ憤も胸にしまって。
「T島さん、4年後には戻ってきてくださいよ」
「いいの? それアリだね。そうしよう」
あんたがいま、どこで何をしていようがどうでもいいんですけど、2019年には帰ってきてくれないと、心の底からビールを美味いと思えない。
2019年秋、新国立競技場。ラグビーワールドカップのテーマソング『World in Union』がオープニングセレモニーで流れたとき、あなたはきっと涙する。最高なんですから、あの歌。みんなで、一緒に聴きましょう。
その夜の打ち上げ、ビール代の支払いはあなたの大事な仕事だ。領収書は「ラグビーリパブリック」で。