コラム 2015.03.31

【ラグリパ関西ライター/鎮勝也コラム】 くじけそうなあなたへ。

【ラグリパ関西ライター/鎮勝也コラム】 くじけそうなあなたへ。

 春が来ました。
 桃白色の桜の花びらが美しいですね。
 入学、入社、進級するラグビーボーイ、ガールのみなさん、おめでとうございます。

 大勢の人たちはよろこびや希望にあふれているでしょう。でもそうでない人もいます。
 ●第一志望と違う学校、会社に入った
 ●浪人することになった
 ●留年
 そんなところでしょうか。
 でも自分にとってかなり不本意な状況に直面してもラグビーを諦めないでほしい。
 それは続けるに値するスポーツだと思うからです。

 今回は恥ずかしながら、大学浪人と留年を経験した自分自身を書かせてもらいます。
 30年前、私は関東の強豪大学への入学を希望していました。部のガイダンスにも出席しました。でも受かりませんでした。11月までラグビーを続け、受験勉強をしていなかった。プライドは強いがプレーは三流、その大学に競技歴だけで入る力はありませんでした。いわゆる「努力せずに夢を語る」状態でした。

 高校卒業後は予備校に通います。ここでも寝ずに参考書を開いていたか?と質問されると頷けない自分がいる。私はその大学の受験に再び失敗します。
 仕方なしに地元・関西の大学に進みます。ラグビーはしませんでした。仮面浪人をしたからです。そこに通いながら、3たびその大学を受験する決心をしました。
 今思えばひどい話です。自分の母校に対して失礼極まりなかった。やるなら、退路を断ってチャレンジするべきでした。
 その甘さ、弱さ、ずるさは結果に出ます。この時も命がけで真剣に勉強をしたか、と問われるとそうではなかった。3回目の受験失敗、大学での取得単位は0。どっちつかずの行動は最悪の結果を生みます。
 私の大学は成績に関係なく次学年に進級できました。2年生では失望感だけが残ります。今更ラグビーをする気にもなれなかった。「どの面を下げて入れて下さい、と言えるんだ」という思いでした。

 でもラグビー仲間は温かく、優しかった。
 高校の同期で、他大学に通っていた友人が、私の大学のマネジャーに話を通してくれました。彼は「練習に顔を出せよ」と誘ってくれました。やがて周囲の熱意に入部を決めます。
 同期は快く仲間として迎え入れてくれました。グラウンド整備など、下働きの多い初年度を体験していないにも関わらず。
 1年生の後輩たちは「さん」付けで呼び、敬語を使ってくれました。ブランクで練習がきつく、ついていけない、と感じた時には4年生が「辞めるなよ」と声をかけてくれました。絶妙のタイミングでした。
 3年は腰痛、4年は足首のじん帯を切って2度手術をするなど、何一つチームのためにはなれなかったけれど、自分にとってはラグビーマンの情を感じた3年間でした。
 周りが好意的に受け入れてくれたあの時間があったからこそ、今ここで、このコラムを書かせてもらっている私がいるのです。

 京都の伏見工を全国優勝4回と強豪に育て上げた元日本代表FLの山口良治さんですら、つまずきを経験しています。
 日本大を練習の厳しさなどから中退。日本体育大に編入します。その時、ライバルの日体大監督・綿井永寿さん(元学長、故人)に推薦状を書いたのは日大監督の芳村正忠さん(東京世田谷・桜神宮前宮司、故人)でした。
 芳村さんと綿井さんの器の大きさがなければ、山口さんの教え子としての平尾誠二さん(神戸製鋼GM)も高崎利明さん(伏見工教頭、ラグビー部GM)も、さらには孫弟子にあたる松田力也さん(帝京大)もラグビー界に存在していたかどうかは分かりません。
 そして、私はその芳村さんの子息・正徳さん(現宮司)に四半世紀にわたりお世話になっています。上京のたびに宿泊先には困らない。しかし、正徳さんの晴れやかな経歴、國學院久我山→明治大→東芝府中(現東芝)のどの地点においても私との接点はありません。

 ラグビーは芳村父子のように人を許したり、愛情を備えさせるものなのです。
 「自己犠牲」の精神がそれを成させる。
 自分が激しいタックルを受けて倒れても、味方にボールをつなぎます。そこにあるのは人生に一番必要な「思い遣り」です。
 元日本代表LOの大八木淳史さん(芦屋学園理事長)はその球友を「戦友」と表現しました。ラフで厳しい環境に身を置くだけに、その結びつきは太く、強い。例え戦場(グラウンド)は違ったとしても、同じ苦楽を味わっているから分かり合える。
 大切なのは「どこのチームに所属していたか?」ということではなく、「ラグビーをしたか、そして続けたか?」なのです。
 あなたはいずれどこかで山口さんや私と同じ経験をすることでしょう。

 だから今、眼前に起こっている試練を乗り越え、この球技に携わってほしい。
「ラグビーは人生をかけるに値するもの」
 少なくとも私はそう信じています。
 48歳で結婚すらできていない私でも、生きていられるのは楕円球のお蔭なのですから。

(文:鎮 勝也)

【筆者プロフィール】
鎮 勝也(しずめ・かつや) スポーツライター。1966年生まれ。大阪府吹田市出身。6歳から大阪ラグビースクールでラグビーを始める。大阪府立摂津高校、立命館大学を卒業。在阪スポーツ新聞2社で内勤、外勤記者をつとめ、フリーになる。プロ、アマ野球とラグビーを中心に取材。著書に「花園が燃えた日」(論創社)、「伝説の剛速球投手 君は山口高志を見たか」(講談社)がある。

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