コラム 2015.03.16

廣瀬俊朗という男

廣瀬俊朗という男

 廣瀬俊朗は恩義を忘れない人である。

 大阪府立北野高校、慶應義塾大学、東芝ブレイブルーパスはもちろん、高校日本代表、そして日本代表でも主将をつとめた。
 その経歴にふさわしい人間性が備わる。

 3月7日、北野高校の同窓会組織、六稜(りくりょう)同窓会が主催する月に1回の「六稜トークリレー」に登場した。「私のリーダーシップ論―ラグビーから学んだこと」と題して、関係者約100人を前に2時間に渡って話をした。講演は自身初だった。
 意地の悪い質問をあえてぶつける。
「どうして会に出たの?シーズンが終わってレストの時期、面倒くさくはない?」
 間髪を入れず返答がある。
「僕は自分を育ててもらった学校やチームに恩返しがしたいのです。今まで、プレーとか活躍を見てもらうことが恩返しだと思っていました。でもこういうこともあるし、できるんだな、ということを感じています」
 今回の出演は、新3年生が2人と部員難に苦しむ出身クラブの露出を増やし、新入生獲得につなげようとするラグビー部OB会の意図も汲んだ上でのことだった。

 廣瀬俊朗は真摯な人でもある。

 講演の最後、質疑応答の時間。2人しかいない現役部員の一人が発言した。
「力の差が明らかにあるチームと戦う時の心構えを教えて下さい」
 すぐに返す。
「どうする?何ができる?」
「とりあえず100点ゲームにしたくないと思って戦います」
「それはアカン。まず勝ちにいかないと。相手チームは自分たちが思うように動かせない。そこはどうすることもできない。だったらフォーカスを自分たちに向ける。勝ちを目指すためにトライを獲る。でも1トライを狙いに行けば0トライ。3、4トライを狙いに行って、初めて1トライが獲れる。だから勝つつもりでやらないといけない。ハードだと思うけれど、頑張ってほしい」
 難しい問いにも素早く、そしてしっかりと向き合う。

 廣瀬俊朗は他人を思いやれる人でもある。

 2014年から2015年のトップリーグではファースト、セカンドステージ全14試合でフル出場する。13試合はSOで、9月20日の豊田自動織機戦は右WTB。だだし、その裏側にはこのシーズンから新主将に就任した同ポジションの森田佳寿の肩のケガがあった。
「森田はこれまで真面目に、一生懸命やってきました。リーダーシップも覚悟もある人間です。学ぶところがたくさんある。だから、アイツの悔しさや、つらさもモチベーションにしてプレーしてきたつもりです」
 オールブラックス主将、リッチー・マコーらと握手してきた33歳は、自分より8歳下の25歳に賛辞を贈る。決して人の不幸をあざ笑い、我が幸運とはしない。

 そして、廣瀬俊朗は挑む人でもある。

 今年2015年9月にはイングランドで第8回ワールドカップ(W杯)が開催される。
 3月5日に発表された第二次候補選手に名を連ねた。代表キャップ数は23。昨年11月の欧州遠征、ルーマニア、グルジア戦ではWTBとしてカーン・ヘスケスと途中交代して新たに2キャップを積み上げた。

 しかし、本人にはW杯出場歴はない。
 2007年4月のアジア3か国対抗、香港戦で初キャップを獲得するも、同年と2011年のW杯には参加できなかった。SOとして最初はブライス・ロビンス、小野晃征、2回目はジェームス・アレジ、マリー・ウィリアムスらに破れたからだ。
 10月17日には誕生日を迎え、34歳になる。
「自分にとってはこのW杯が最後のチャンスだと思っています。まだ行ったことも、出たこともないけれど、あれだけ世界の人たちを熱狂させる大会にはぜひ出場したい」
 今回のW杯はWTBも視野に入れながら、監督のエディー・ジョーンズの薦めもあって、慣れしたしんだSOでの代表入りを狙う。14試合のトップリーグシーズンフル出場はそのチャレンジを助ける。

 シーズン中は「加速のスピード」と「柔軟性」のアップに取り組んだ。
「SOはWTBに比べてあまりトップで走ることはないし、体が硬ければ、タックルを受けてからのパスにも影響しますから」
 タックルバッグ状の中に水が入った「アクアバッグ」を担いで、腿上げをしたり、走ったりする。液体はバッグ中を流れる。不安定さは体幹トレーニングにもなる。
 練習終わりには股割りなどの柔軟体操などをこれまで以上に意識して取り組んだ。柔らかさはオフロードなどを容易にさせる。
 肉体の可能性を高める努力は怠りない。

 W杯出場メンバー選考も兼ねた代表合宿は4月6日から南国の地、宮崎で始まる。人として優れる廣瀬に「3度目の正直」は訪れるのか。エディーの決断とともに、そのパフォーマンスに注目が集まる。

(文:鎮 勝也)

【筆者プロフィール】
鎮 勝也(しずめ・かつや) スポーツライター。1966年生まれ。大阪府吹田市出身。6歳から大阪ラグビースクールでラグビーを始める。大阪府立摂津高校、立命館大学を卒業。在阪スポーツ新聞2社で内勤、外勤記者をつとめ、フリーになる。プロ、アマ野球とラグビーを中心に取材。著書に「花園が燃えた日」(論創社)、「伝説の剛速球投手 君は山口高志を見たか」(講談社)がある。

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