三村勇飛丸、叩き上げ軍団の先頭に立つ。
トップリーグのプレーオフが、1月24日、25日に行われる。関西ラグビー協会所属チームでは、神戸製鋼コベルコスティーラーズと、ヤマハ発動機ジュビロがトップ4に勝ち残った。なかでも注目されるのは、8季ぶり2度目のプレーオフ進出となったヤマハ発動機だ。一時は本格強化を停止し、主力選手数名が部を去るという苦しい時期を経ての復活劇。ジュビロのファン、関係者にとっては、「よくぞ、戻ってきた」と感慨もひとしおだろう。
清宮克幸監督は、セカンドステージ最終節のパナソニック戦に勝利してトップ4入りを決めると、しみじみ言った。「やりよったねぇ」。CTBマレ・サウ、FB五郎丸歩という日本代表の主力選手がいる一方で、この日大活躍だったWTB伊東力がトライアウトを経ての入団であるほか、高校、大学時代の無名選手も多い。そんなチームが王者を倒したのである。
キャプテン2年目の三村勇飛丸(25歳)は、叩き上げ軍団の象徴的存在だ。
入社を決めたのは本格強化が停止していた4年前のことである。明治大学4年時は、レギュラーFLとして活躍した。しかし、卒業後はラグビーを続ける気持ちがなかったという。
「体格的(身長178センチ)に難しいと思っていましたし、東京ガス、東京電力などインフラ系の企業で仕事をしたいと考えていました」
トップリーグで誘ってくれたのはヤマハ発動機だけだった。「堀川さん(現ヘッドコーチ)に、必ずもう一度強化するから、信じて来てくれ、と言われました」。半信半疑で入社を決意すると清宮監督の就任が明らかになる。
早稲田大学ラグビー部の指揮を執って、5年間で3度の学生日本一に輝き、サントリーサンゴリアスもトップリーグで優勝させた敏腕コーチである。その就任には「まさか」と驚いたという。
いかにもタックルしそうな名を持つ三村は、栃木県足利市出身。名前の由来は本人も知らない。中学では野球部に所属した。「一学年が40名ほどの小さな中学で、部活も野球、バレーボール、テニスの3つしかなかったんです」。
ラグビーは栃木県立佐野高校入学後に始めた。同校ラグビー部は、清宮監督と同時期に早稲田大学でプレーした藤掛三男監督が率いており、県で一、二を争う実力だったが、そんなことはまったく知らず、一般受験で合格し、友人の兄がラグビー部だったという縁での入部だった。このあたりも、幼少時代から楕円球に親しむラグビーエリートとは一線を画している。
ヤマハにやってきた清宮監督の教えは刺激的だった。「ラグビーって、ここまで考えなくてはいけないのかと感じました。よく、高校がきつくて、大学は楽だったという選手がいますが、僕はその時々を必死でやって、上に行くほどに刺激を受けてきました。清宮監督の指導でモチベーションも上がりました。当然、今が一番楽しいです」
ヤマハ発動機のラグビーは、各選手が骨惜しみなく動き続けることが生命線である。その先頭に立つのが、三村だ。入社3年目でキャプテンになったのも頷ける。
タックルして、すぐに起き上って、またタックル。ボロボロになるまでぶつかり、走り続ける。入社2年目のシーズンは、首から上の裂傷だけで37針縫ったという伝説的エピソードもある。「毎試合出血退場になるので、ヘッドキャップをかぶってくれ、と言われました」。以降、ヘッドキャップは三村のトレードマークとなる。今季のタックル数「144」は、チームNO1にして、リーグ全体でも3位の数字である。
プレーオフを前にした4チームの共同記者会見でも、清宮監督からキーマンの一人として名をあげられた。
「プレーオフの場に立ちたいと思い続けて、やっと来ることができた。楽しみです」
セカンドステージでは、残り3節、すべて4トライ以上のボーナス点を獲得しながら勝利するしか自力でトップ4に残れないという立場に追い込まれた。正確なプレースキッカーである五郎丸歩のPGを封印し、迷いなく攻めたことが、持ち前の攻撃力を引き出し、プレーオフ進出につながった。三村もキャプテンとしてトライを獲ることを最優先に攻撃選択をすれば良かった。しかし、プレーオフはそうはいかない。
「スクラムか、モールか、PGか、しっかり判断していきたいです」
小さいことをハンディと感じることはない。求められていることは、倒れている時間を少なくし、タックルし続けることだ。
セミファイナル(1月24日、近鉄花園ラグビー場)の相手は、セカンドステージで、10-40と大敗した神戸製鋼である。
「前回の対戦では、ハイプレッシャーのディフェンスで自分たちの強みを見失いました。今度は、ファーストフェーズから前に出て、自分たちの強みを出していきたいです」
トップ4のFW第三列ではもっとも小さなFLが、叩き上げ軍団の先頭に立つ。
【筆者プロフィール】
村上晃一(むらかみ・こういち) ラグビージャーナリスト。京都府立鴨沂高校→大阪体育大学。現役時代のポジションは、CTB/FB。86年度西日本学生代表として東西対抗に出場。87年 4月ベースボール・マガジン社入社、ラグビーマガジン編集部に勤務。90年6月より97年2月まで同誌編集長。出版局を経て98年6月退社し、フリーラン スの編集者、記者として活動。ラグビーマガジン、ナンバー(文藝春秋)などにラグビーについて寄稿。J SPORTSのラグビー解説も98年より継続中。99年、03年、07年、11年のワールドカップでは現地よりコメンテーターを務めた。著書に、「ラグ ビー愛好日記トークライブ集」(ベースボール・マガジン社)3巻、「仲間を信じて」(岩波ジュニア新書)などがある。BS朝日ラグビーウィークリーにもコ メンテーターとして出演中。