圧力受けた日和佐 マオリ代表との再戦へ雪辱を期する
11月1日、ノエビアスタジアム神戸には、21,234人の観衆が客席を埋めた。この数字は、2004年以降の日本代表戦での最多観客数となった。神戸市や地元のラグビー関係者を軸にした集客努力の成果である。しかし、入場整理には問題があり、手際が悪すぎるという観客からの不満も多かった。当たり前のことだが、観客を集めるだけでは、イベントは成功しない。運営面での課題も多いということだ。
試合は、マオリ・オールブラックスが日本代表(JAPAN XV)をスピードで圧倒したが、日本代表メンバーの中で、スタジアムの地元兵庫県出身者は2人いた。LO伊藤鐘史(兵庫工業高校→京都産業大学)と、SH日和佐篤(報徳学園高校→法政大学)である。日和佐の自宅は、スタジアムから車で30分ほどのところ。この日は、5歳から通っていた兵庫県ラグビースクールの指導員の方々も応援に駆け付けてくれていたという。
※兵庫県RSについては、本コラムで紹介している(2014年9月4日)。
「いいプレーが見せたかったのですが…」。試合後の日和佐は無念の表情を浮かべた。エディー・ジョーンズ日本代表ヘッドコーチの指示で、PKからは徹底して速攻を仕掛け、マオリABの激しいプレッシャーの中で難しいボールをさばいた。だが、終盤はボール出しの際に絡まれることが多くなり、チャンスを逸するミスもあった。「足が出てきたり、手が出て来たり、圧力がありました。でも、僕のミスもあったので…」
日和佐は、第2戦への修正ポイントとして「ブレイクダウン(ボール争奪局面)」、「リアクション」を挙げた。直接に圧力を受けたSHの言葉だけに説得力がある。「マオリABは、日本のサポートの寄りが遅いときだけ絡んでくる。その見極めが上手かったです」。ジョーンズHCも、「日本がブレイクダウンに人数をかけ過ぎ、マオリABは14人立っていることもあった」と話していた。的確な判断、反応スピードで、日本代表は圧倒されたということなのだ。
しかし、日和佐は悲観していなかった。日和佐は2011年のワールドカップでオールブラックス(ニュージーランド代表)と戦っている。「あの時は、ボールをキープして攻めることすらできませんでした。日本代表が強くなっている実感はあります」。日和佐自身も経験を積んできた。田中史朗が英国バーバリアンズクラブ参加で不在の中、存在感を示したい。マオリABと第2戦に向け、前向きに言った。「来週はもっといい試合をします。(きょうは)攻めている時間は長かったし、通用する部分がわかったので、次の試合ではセットプレーとクイックアタックをミックスしてゲームメイクできると思います」。
【筆者プロフィール】
村上晃一(むらかみ・こういち) ラグビージャーナリスト。京都府立鴨沂高校→大阪体育大学。現役時代のポジションは、CTB/FB。86年度西日本学生代表として東西対抗に出場。87年 4月ベースボール・マガジン社入社、ラグビーマガジン編集部に勤務。90年6月より97年2月まで同誌編集長。出版局を経て98年6月退社し、フリーラン スの編集者、記者として活動。ラグビーマガジン、ナンバー(文藝春秋)などにラグビーについて寄稿。J SPORTSのラグビー解説も98年より継続中。99年、03年、07年、11年のワールドカップでは現地よりコメンテーターを務めた。著書に、「ラグ ビー愛好日記トークライブ集」(ベースボール・マガジン社)3巻、「仲間を信じて」(岩波ジュニア新書)などがある。BS朝日ラグビーウィークリーにもコ メンテーターとして出演中。