コラム 2014.10.02

マオリ・オールブラックスが単に人種別の代表チームではない理由(その1)  小林深緑郎(ラグビージャーナリスト)

マオリ・オールブラックスが単に人種別の代表チームではない理由(その1)
 小林深緑郎(ラグビージャーナリスト)

 2013年に行われたニュージーランド(NZ)の最新の国勢調査の結果、同年3月5日時点のNZの総人口は4,242,048人となっている。

 国勢調査には、「あなたは、なに人ですか?」という質問があって、これに対する答えは、あらかじめ示された99の分類から選ぶ方式になっている。その区分だが、ヨーロッパ人という大枠のなかには53の分類があり、マオリ人の枠にはマオリの分類が一つだけあり、パシフィック(太平洋諸島)人の大枠には19の分類があり、アジア人の大枠は34に分類されている。さらに、中東/ラテンアメリカ/アフリカ人の大枠が32分類。最後の「その他」の大枠にも4分類があるから、整理すると、大枠を6つのなかから選んで、さらに自分の所属すると思われるエスニックを、99の分類から選ぶというやり方のようだ。

 で、その結果はヨーロッパ系人が2,969,391人で、人口の74.0%を占めている。ポリネシア系のNZの先住民であるマオリ人は598,602人で14.9%。パシフィック人は295,941人で7.4%。アジア人は471,708人で11.8%。その他1.1%という比率になっている。

 2013年の国勢調査によれば、自分を純粋なマオリ人だとする回答が46.5%あった。そして、ヨーロッパ人との混血という回答が43.4%、パシフィック人との混血は3.8%、その他のアジア人などとの混血は合わせても1%に満たない。また、マオリ以外の2人種以上との混血という回答が5.6%である。

 次に、混血の比率を年齢別に比べた分析では、純粋なマオリ人の割合が65歳以上では70.2%であるのに対して、低年齢になるほど比率が下がり、15歳未満では35.0%となっていることがわかる。また、年齢が下がるほど2つの人種の混血、3つ以上の人種の混血の比率が高くなっているという調査結果が出ている。

 ついでに近年のオールブラックスの人材排出の宝庫ともいえるパシフィック3か国に関して、NZの人口の内訳をみてみると、最多はサモア人の144,138人で3.6%、トンガ人が60,336人で1.5%、フィジー人は14,445人となっている。

 このほかのパシフィック人のなかで数が多い人種では、クック諸島出身のマオリ人の61,839人と、ニウエ人の23,883人が目をひく。今から約1000年前に太平洋のどこかから船でNZへ渡ってきたのがマオリ人だが、クック諸島にも居住している。ただし、クック諸島のマオリ人には、ラグビーのマオリ・オールブラックスの選手資格は認められていない。

 さて、11月に来日するマオリ・オールブラックスはNZのマオリ人の血を引く選手で構成される。NZ協会によれば、チームの「カウマトゥア」と呼ばれる文化顧問が、プレイヤーのワカパパ(家系)を追跡調査し、マオリの血統の継承を確かめて選手資格の認定をしているということである。

 このように、マオリの選手資格調査が厳密に調査されるきっかけとなったのは、2003年に、当時オールブラックスのテストマッチ最多トライ記録46を持っていた伝説的FBのひとりクリスチャン・カレンが、マオリ・オールブラックスに選ばれて議論を呼んだ出来事があってからとみてよい。

 見た目は白人のカレンがマオリ・オールブラックスの試合に起用された背景には、NZ協会が怪我から復帰した彼を、直後に開かれた2003年のワールドカップのスコッドに加えるかどうかを試す必要があったからだと考えられている。

 実際のところカレンの父方の祖父には、わずかながらマオリの血が流れているらしい。ドイツとサモアの血統を持つカレンの父によれば、「彼は64分の1がマオリ」、だそうである。

 マオリの血統のまったくないマオリ・オールブラック選手の歴史をさかのぼると、1927年に選出された西サモア生まれのフランク・ソロモンを起源に、以来数名の名を挙げることができる。特にアフリカ系アメリカ人の両親を持つアラン・ブレークの場合は、1948〜52年に渡ってマオリ・オールブラック代表の試合に出場し、1950年にはキャプテンまで務めている。

 1988年に筆者がNZで観たマオリ・オールブラックの試合にも、ダリル・ウィリアムズというLOが出場していたが、しばらくして彼が非マオリと判明し、「呼ばれたので試合に出た」という本人のコメントが新聞に載っていた。彼の母親は「うちはフィジーとサモアだけ、マオリは入っていない」、と語っている。ウィリアムズは1988年にサモア代表となり、1995年のワールドカップにも出場している。

 以上のような選手選考の経過をみて、マオリ・オールブラックを単なる人種別の代表チームだと理解してはならない。時代が21世紀に入って、世界の潮流は、チーム構成を特定の人種・民族に限定した代表チームというものを、その存在が人種差別につながることを警戒して、否定的にとらえる傾向にある(なかには法律で禁止している国もある)。

 このような流れを受けて、少なからず存在する否定的な声を、NZのマオリ・オールブラックが、どのように打ち消し、非難に耐えうる存在となり得たのか。次回の本コラムでは、マオリ・オールブラックの歴史的な価値が認められてゆくまでの道のりを、たどることにしたい。(つづく)

【筆者プロフィール】
小林深緑郎(こばやし・しんろくろう)
ラグビージャーナリスト。1949(昭和24)年、東京生まれ。立教大卒。貿易商社勤務を経て画家に。現在、Jスポーツのラグビー放送コメンテーターも務める。幼少時より様々なスポーツの観戦に親しむ。自らは陸上競技に励む一方で、昭和20年代からラグビー観戦に情熱を注ぐ。国際ラグビーに対する並々ならぬ探究心で、造詣と愛情深いコラムを執筆。スティーブ小林の名で、世界に広く知られている。ラグビーマガジン誌では『トライライン』を連載中。著書に『世界ラグビー基礎知識』(ベースボール・マガジン社)がある。

(写真 http://www.photosport.co.nz/)

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