夜明けが待ち遠しい 藤島 大(スポーツライター)
熊谷ラグビー場をあちこち移動する。全国高校選抜大会。正直、大観衆で埋まるわけではないから、どうしても関係者、多くは指導者の姿がやけに目につく。旧知のコーチに会って、しばらく話す。グラウンドとは「わかればわかるほどわからないことも増える」無限の世界だから、コーチング談義はいつまでも尽きない。
いわゆるコーチ、つまり監督も含めて、さまざまなレベルの指導者がその立場に向いているかは次の言葉に凝縮される。
「彼も夜明けが待ち遠しいんだ」
これ、6年ほど前、加藤廣志さんから聞いた。かつて秋田県立能代工業高校バスケットボール部をさまざまな大会で計56度も日本一へ導いた名将は、自分の教え子のひとりをそう評した。もちろん、この場合の「彼」は「彼女」でも同じだ。すなわち次の朝が訪れて、また練習の時間が迫るのが待ち遠しくてたまらない。それこそがコーチの大切な資質なのだ。『高さへの挑戦』という名著のある加藤さんは、すでに現場をリタイアしていたが、声荒らげぬ言葉の端々にそれでも鬼気のごとき迫力がほとばしって若き日の情熱の凄まじさはたちまち伝わってきた。
たとえばこんな一言。「勝負ですからね。あまり、まともだとうまくないんだよ。ちょっと変わってるくらいがいい。もちろんガムシャラに強がってばかりでも勝てません。裏づけのある奇抜な発想がなければ」。マトモダトウマクナインダヨ。実感に満ちて、なんというのか、ちょっとこわい。
その加藤さんが「ザ・コーチ」の名を教えてくれた。「私の知る限り、高校スポーツの最高の指導者は秋田商業サッカー部を日本一に育て上げた内山真さんではないでしょうか。本人は剣道出身でサッカーの経験はないのに独学で勝ちました」。のちに調べたら、やはり普通の人間ではなかった。
故人である内山真元監督は、長野県出身ながら縁を得て秋田商業に奉職、敗戦後の武道禁止令により剣道指導を許されず、代替競技を考えていたところ、校長より広いグラウンドをいかすスポーツを、と求められ、1947年にサッカー部をつくる。剣道には「形」がある。サッカーだって反復で形を深く身につければ状況を超えて技術を発揮できる。それが信念だった。ひとつずつの技術を執拗な反復で身につけ、徹底した走り込みで体力の醸成を貫いた。根底には日常の生き方が勝負に深く関わるという剣道の人間観があった。創部5年にして東北大会優勝、東日本大会では準優勝を遂げる。57年、全国制覇。「ツルハシで凍った雪を掘り起して練習」「厳冬でも四キロから六キロのランニングは欠かさない」(月刊『あきた』)。妥協知らずの態度と旺盛な技術研究で多くの人材を世に送った。
熊谷ラグビー場の各校の奮闘をいま目にしながら、他競技で時代も違うのに、加藤流、内山流の指導は普遍の価値を宿していると確信した。まず、おかしなほどの、もっといえば常軌を逸した情熱と理にかなった創意工夫は両立する。そして、ここは現在の高校ラグビー界における全般の課題のような気もするのだが、システムを構成する「個」の鍛練こそが勝負の根幹をなす。選抜大会の多くのチームがディフェンスのシステム遂行に傾き、ひとりの人間がひとりの人間を倒し切る迫力に欠けている。優秀な監督とコーチが情報を集めて、考え抜いたシステムを、小さいころからラグビースクールで培った「競技センス」に富んだ選手が遂行していく。それはそれで正しい。問題は、そういう強豪チームを追いかける立場の学校までよく似た方法にとどまっているところだ。システムの前と後の「個」がきっと最後の勝敗を分けるはずなのに。
春の選抜に出場できたチームの指導者はみな「夜明けが待ち遠しい」はずだ。そうでないと困る。その情熱を「自分のチーム」にふさわしい独自の方法に結べるのか。ここが焦点だ。パナソニックはこうだ。帝京はこういうふうに戦っている。高校の常勝チームではいまこれが流行っている。それを模倣するのでなく、それをやっつけるために朝を待つのである。日本列島のほとんどのチームにとって必要なのは体力づくりと技術習得の個のしつこい反復である。
【筆者プロフィール】
藤島 大(ふじしま・だい)
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。著書に『ラグビーの情景』(ベースボール・マガジン社)、『ラグビー大魂』(ベースボール・マガジン社)、『楕円の流儀 日本ラグビーの苦難』(論創社)、『知と熱 日本ラグビーの変革者・大西鉄之祐』(文藝春秋)、『ラグビーの世紀』(洋泉社)、『ラグビー特別便 1986〜1996』(スキージャーナル)などがある。また、ラグビーマガジンや東京新聞(中日新聞)、週刊現代などでコラム連載中。J SPORTSのラグビー中継でコメンテーターも務める。