国内 2013.05.08

修ちゃんと心優しき人びと (ラグビーマガジン2011年1月号)

修ちゃんと心優しき人びと (ラグビーマガジン2011年1月号)


201101a


病に苦しむ麻生修希ちゃんを救おうと、ラグビーファミリーが枠を越えてひとつになった
(撮影:松本かおり)


 


 


精いっぱい生きたね。天国で安らかに。5月8日、麻生修希くんの葬儀が営まれた。
日本ラグビー協会A級レフリー麻生彰久氏(コカ・コーラウエストレッドスパークス所属)の長男。


悪性リンパ腫のため5月5日に大阪府吹田市内の病院で亡くなった。4歳だった。
1歳9か月のとき、拡張型心筋症(心臓の筋肉が拡張し薄くなり、心機能が悪化し続ける特定疾患指定の難病)と診断された。心臓の移植手術以外には症状回復の見込みがない。小児ドナー登録の事例がない日本国内で待つ時間はなく、アメリカで移植手術を受けることに。1億5000万円の費用が必要とわかると、多くの人たちが一体となって立ち上がった。
文字通り、人が人を呼んでスクラムを組んだ記憶を、刻み込んでおきたい。
そう思い、当時のラグビーマガジンに掲載された記事をここに再掲載します。
修希くんは、ラグビーの中に生き続けます。


 


***** ***** ***** ***** *****


 


【ラグビーマガジン 2011年1月号の記事】



 募金活動を見るたびに思う。身体が大きいって、こんな時にいい。スタジアム前の人混みの中で呼びかけの声がする方に視線をやると、いつもならピッチにいる人たちが募金箱を手に声を張り上げている。最近、そんな光景を見かけませんでした?



 募金箱には、『修ちゃんを救う会』の文字。日本協会公認トップレフリー、麻生彰久さん(コカ・コーラウエスト所属)の長男、修希ちゃんが、心疾患に苦しんでいることを知り、ラグビー関係者を中心に多くの人が立ち上がった活動だ。日本代表戦、大学ラグビー、高校ラグビーの会場。地元・福岡では、博多駅前や商業施設でも活動を展開し、この先、11月下旬に再開するトップリーグの会場でも続けられる。



 10月(2010年)に2歳になったばかりの修ちゃんは、心臓の筋肉が薄くなる拡張型心筋症(心筋収縮の動きが低下、うっ血性の心不全が続く状態)に苦しんでいる。
 妊娠37週目を迎えたとき、心疾患の疑いが持たれた。初めての子どもを授かった幸せと、病状への不安。でも、2008年10月27日、大きな産声をあげて生まれてきた息子の顔を見て両親は、「大丈夫だ」と確信できたという。



「大きな声でした(笑)。生き抜いてくれる子だ、と思いました」
 総動脈幹症と診断された修ちゃんは、生後4日目で手術を受けた。昨年5月、7か月の時には2度目の手術で人工弁を入れる。今年8月には重度の心不全で大分から福岡までヘリで搬送されるも踏みとどまり、拡張型心筋症状態の現在は、自宅で水分制限と投薬を受け療養中だ。
「好きなだけミルクを飲ませてあげたい。いつも、そう思っています。ただ、必要なものだと理解しているのか、少しでも水分がほしいからなのか、嫌がることもなく薬を飲んでくれるんですよ、修希は。相当ツラいと思うけど、それが当たり前になっているかのように、よく笑います」



 今年7月の改正臓器移植法施行により、日本でも15歳未満の臓器提供が法的に認められることにはなった。修ちゃんも、日本循環器学会から認定を受けた心臓移植適応患者だ。しかし、国内での小児ドナーの前例はなく、その時が来るのをただ待っている時間は修ちゃんにはない。生きるための唯一の道は、海外での移植手術だけだ。
 幸い、米国・ロマリンダ大学小児病院から受け入れの内諾をもらう。健康保険など公的サポートが一切ない手術には、個人では到底まかなえない、1億円を超える高額な費用がかかるが、「ひとりで越えられない壁があるのなら、みんなで乗り越えようよ」と声をあげてくれたのが会社やチームの仲間だった。



「病院には、様々な年齢の子どもたちが、それぞれの心臓の病気で入院していました。中には、頑張ったけれど亡くなった方もいた。だから修希も、与えられた命をまっとうしてくれれば…と思ったこともありました。でも、亡くなったお子さんのご両親から『助かる可能性があるなら、必死で生きてください』と言葉をもらって覚悟ができました」
 募金活動には、善意以外にもさまざまな言葉などが寄せられることは、過去の事例からも理解していた。しかし、自分のやるべきことは息子の命を守ることと、そういうものを受け止めることなのだと腹がすわってからは、前だけを見据えた。



 福岡から発信された活動は、トップリーグ関係者をはじめとした仲間を介して、瞬く間に広がっていった。チームやカテゴリーの枠を越えて協力してくれる方々の姿を見て、涙が出た。ラグビースクールの関係者などから、自分のところも活動に協力したいと連絡をもらい、受話器を握りしめたまま頭を下げた。
「自分で街に立ったときも、いろんな方に声をかけていただきました。同じ年頃のお子さんを抱いた方は、『いま、この子を失うことは考えられません。頑張って』と。幼い子が自分の財布をひっくり返し、そのすべてを箱に入れてくれたりもした。振り込みでもよかったんだけど、実際に会って励ましたかったから…という方もいて、嬉しかった」
 楕円界はもとより、その枠も越えて多くの人たちがつないだパスの結果、救う会には、続々と募金が届いている。比較的症状が安定しているいまのうち、年明けには渡米したい。移植手術自体は、修ちゃんがこれまでに受けた手術と難しさは変わらず、その後については、ドナーから提供された臓器との相性にかかっているという。



 修希という名は、父・彰久さん、母・彩さんに共通する『彡』の入った一文字と、希望の意味を込めた。チリの炭鉱で起こった落盤事故の際、作業員の家族らが生還を待ったテント村、あの「エスペランサ(希望)」と同じである。
「そうなんです。だから、落盤事故から全員が生還できたのは励みになった。修希も、あの小さな身体で、2度の手術を乗り越えてくれたんです。次も、きっと生きてくれる」



 11月18日現在の募金総額は約4400万円。そして寄せられた思いは、その金額以上に重く、深い。どうして自分の子どもだけ…と、やり場のない思いにかられたこともあったけれど、いまは、多くの人たちの応援をもらって、こんなに幸せなことはないね―― と、妻や息子に話しかけている。


 


201101b


多くの方々の協力を得て、心臓移植手術のための募金目標金額(1億5000万円)を達成。


手術は成功。2013年5月5日、4歳で亡くなるまで、修ちゃんは精いっぱい生きました


 

PICK UP