国内 2013.04.04

【直江光信コラム】 マンネリ打開への暴走

【直江光信コラム】 マンネリ打開への暴走


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 昨年、ある雑誌の取材で、映画監督の篠田正浩さんに話を聞く機会があった。



 篠田さんは「瀬戸内少年野球団」や「梟の城」など、数々の名作を世に送り出した日本を代表する映画監督だ。スポーツ人としても知られ、高校時代は陸上競技の岐阜県代表で国体に出場、早稲田大学競走部では箱根駅伝の走者も務めている。1972年には札幌オリンピックの記録映画の撮影を指揮しており、傘寿を迎えたいまも健脚は維持されたままだ。



 早稲田大学競走部時代に篠田さんを指導したのは、日本のスポーツ史に残る名指導者と謳われる中村清氏(故人)だった。入部から間もないある日、中村氏は高校で400mが専門だった篠田さんを、いきなり長距離ランナーへと転向させる。その際、中村氏は篠田さんにこう言い放ったそうだ。



『篠田、君の走りを見ていると、とても400mの世界記録には届かない。でもそのスピードのまま5000m走ることができれば世界記録だ』



 自身は1500mの日本記録保持者だった中村氏は、’36年のベルリンオリンピックに出場した際、海外選手の圧倒的なスピードの前に惨敗を喫し大きな衝撃を受けた。以後、指導者として「距離ではなくスピードに対する耐久力をいかに持続するか」をテーマに掲げ、当時は画期的だったインターバル走やウエートトレーニングなどを導入。その先進的な指導法の結晶ともいうべき存在が、’84年のロサンゼルス五輪のマラソン競技に出場したあの瀬古利彦氏だった。



 そして篠田さんを長距離選手へと転向させた中村氏は、同シーズンの箱根駅伝で急遽、篠田さんを2区走者に抜擢する。ついこの前まで400mランナーだった新人に、いきなり20kmもの距離を走る大役を任せたのだ。



 大会前日、先輩を補佐するためについて行った鶴見の宿舎で突然2区起用を告げられたという篠田さんは、当時のことをこう振り返る。



「中村さんになぜ僕を起用したのかと聞いたら、『3、4年生のベテラン選手は自分の走法を体に叩き込んでいるから、ちょっとやそっとじゃペースを乱さない。それでは今年の早稲田は最終的に7位か8位で終わる。このマンネリを打開するのは、新人の暴走にかかっているのだ』と。結果的にその年、早稲田は2位になりました。私は映画監督になってから、同じ役者で同じテーマの映画を作るようなことは一切やらなかった。常に未知のものに挑戦するという映画作りの作法を、この時に学んだのです」



 この話を聞いた時、不意にラグビーのことが頭に浮かんだ。



 最近の国内シーンでは高校、大学、社会人のあらゆるカテゴリーで上位グループと下位グループ、さらには中位までもが固定化されつつある。残念なのは中〜下位チームの多くが「このままでは現状維持で終わる」と認識しながら、決定的な打開策を見出せていないことだ。むしろ帝京大学やサントリーといったチャンピオンのほうがさらなる高みへチャレンジし、新境地を開拓し続けている。



 無論、前提としての戦力に差があるのは事実だろう。肉体的接触が多く、体格やパワーの差が大きくものをいうラグビーは、番狂わせが少ないスポーツといわれる。一方で、能力で劣る側に付け入る隙がないかといえば、そうではないはずだ。



 一昨年にNZで行われたラグビーワールドカップでは、同年の欧州6か国対抗で4位のウエールズが準決勝進出を果たし、多くの賞賛を集めた。長年主軸を務めたベテラン選手に代えて、22歳のFLサム・ウォーバートン主将やFBリー・ハーフペニー、19歳のWTBジョージ・ノースら若手を抜擢したことが奏効しての躍進だった。昨冬の花園では、茗溪学園が自陣からでもひるむことなくボールを動かし続ける大胆なアタッキングラグビーで、大会3連覇中の巨人、東福岡を準々決勝で破る快挙を遂げている。「マンネリを打開するための暴走」が入り込むスペースは、まだきっと残されている。



 身体能力がダイレクトに反映されやすいという点では、ちょうど400mの選手だった篠田さんを長距離ランナーへと転向させたように、ポジションをコンバートしたり、他競技から選手を引っ張ってくる発想もおもしろい。日本歴代最多キャッパーの元木由記雄氏は大阪の英田中学2年の時、恩師の深田一明先生の勧めでFWからCTBに転向して世界的な選手へと上りつめた。現在のジャパンの重鎮、LO大野均は福島県の日本大学工学部でラグビーを始めているし、いまもっとも注目される若手、18歳のSO山沢拓也は、サッカーから深谷高校入学後にラグビーへ転じてわずか2年で日本代表スコッドに名を連ねている。



 春。各地でたくさんの新たなスタートが切られるこの季節に、多くの可能性が芽を出すことを期待しています。


 



(文・直江光信/写真撮影:松本かおり)


 


 


【筆者プロフィール】
直江光信(なおえ・みつのぶ)
スポーツライター。1975年熊本市生まれ。県立熊本高校を経て、早稲田大学商学部卒業。熊本高でラグビーを始め、3年時には花園に出場した。著書に『早稲田ラグビー 進化への闘争』(講談社)。現在、ラグビーマガジンを中心にフリーランスの記者として活動している。


 

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