国内 2013.01.10

【田村一博コラム】 楕円の引力。

【田村一博コラム】 楕円の引力。


tamura


 


 


 なぜか高鍋高校を応援する集団の中にいた。
「いやあ、いつの間にか囲まれちゃってさ」
 花園第3グラウンドのバックスタンド、入り口側。試合を行うチームの生徒、関係者が入れ替わり立ち替わり、応援のために陣取る場所である。
 全国高校大会初日。群馬県の県立高校で教壇に立つ『ダーさん』は、お目当ての試合の前日から大阪に入っていた。
 タカナベに知り合いでも?
「いや。実はさ、初めてなんだハナゾノ」
 高校教師になって四半世紀になる。いろんな学校でラグビー部の顧問も務めてきた。大学卒業後、初めて赴任したのが太田高校。そのときラグビー部の2年生に金田健一郎がいた。金田少年は筑波大に進学した後、指導者への道を歩む。そして今大会、創部105年目にして太田高校を初めて花園に導いた。
 大学時代、学生クラブで始めたラグビー。群馬の田舎出身でダサかったからか、タックルの際に「だーっ」と叫んでいたからなのか、あだ名の由来ははっきりしない。そんなダーさんから電話が入ったのは、大会の始まる数日前だった。
「そういうわけで、花園に応援に行こうと思っているんだ」
 指導者としてどうしても届かなかった花園。これまで校務や部の指導も重なって、観戦すら出来なかった。そんな場所への初めての旅行。20数年かけて届けられた、教え子からの招待状のおかげと思っている。



 いつもいつも観る者に熱を伝える。少年たちを大人に近づける。花園は大人たちを少年時代に戻す魔法の国だ。
 母校の試合となれば、昔の友や世代を超えた仲間が集う。故郷の言葉が出る。忘れかけていたあだ名で呼ばれる。そこには、人を引き寄せる引力がある。



 花園ラグビー場すぐ近くの住宅街の一角に、お好み焼き・たこ焼きの『春美』はある。
 おかあさんこと、春美さんが目尻を下げる。
「日川、萩商工…みんな、今年も寄ってくれはった。OBたちがここに集合してから観戦に行く。観戦してから、ここに来る。だからお正月も閉めるわけにはいかんのよ(笑)。『中に入る時間はないんだけど、顔だけ見せに来た』という人もおるしね」
 春美さんの焼くお好み焼きは一級品。ホスピタリティは特級だ。昔の貴重なお話。あったかい物語。口から次々に出る楕円球話に、観戦で冷え切った体があたたまる。
「家族で花園に来たのに、男たちはみんな試合に夢中になってかなわんと、おばあさんだけでココに来はった人もおった。『はるみさんとこで待っとき、と言われたもので』って(笑)。私は世間話をしただけなのに、えらい喜んでもらって。その話がまたラグビーの人の間で広まって、遠いとこから懐かしい連絡が入った。ほんまラグビーの縁は強いわぁ」
 2019年のワールドカップ。きっとここに世界のファンが集う。



 大学選手権準決勝の試合後に知人と会った。
 20年以上務めた会社をたぶん辞める。あなたの部署の誰かひとりを辞めさせなさい。社から出たそんな指令を遂行したのは、何年か前の話。
 やりました。やりましたよ。でも気分は最悪だった。
 学生時代、キャプテンを任された。人を導き、手を広げて迎え入れたことは何度でもある。下を向く仲間を立ち上がらせたことだって。人との絆を断ち切る生き方なんかしてこなかった。だから何年経っても、もやもやは消えない。
 頭に白いものが増えたキャプテンは、いまのラグビーを観て言う。
「試合後のエールの交換。あれは、どうして両チームがわざわざ並び、やっているんだ?」
 フルタイムの笛が鳴ったら、目の前の、たった今まで戦っていた相手の手を握る。やがてキャプテンが「スリー・チァーズ・フォー」と叫び、仲間が続くのが当たり前だと思っていた。そんなスポーツだったから、自分はラグビーを愛した。
「俺は古いのか?」
 いや、ちっとも。いろんなところで感じるもやもやは、あなたの良心ですよ。



 ラグビーのある冬はいい。試合を観たあとにでも呑もうか。あったまるよ。そんな流れが好きだ。
 そして、そこに人は集まる。



(文・田村一博)


 



【筆者プロフィール】
田村一博(たむら・かずひろ)
1964年10月21日生まれ。89年4月、株式会社ベースボール・マガジン社入社。ラグビーマガジン編集部勤務=4年、週刊ベースボール編集部勤務=4年を経て、1997年からラグビーマガジン編集長。


 


 


(写真:『春美』の店内/撮影:松本かおり)

PICK UP