コラム 2013.01.04

刹那  向 風見也(ラグビーライター)

刹那
 向 風見也(ラグビーライター)

 A4用紙大のブラウン管で「紅白歌合戦」を見る。隣の同じデザインの部屋から苦情が来ぬよう音量は必要最小限に止められ、画質は「AKB48」が20人も並ぶと顔の識別は難しくなるアバウトさだ。両手を広げられぬ幅のスペースは意味不明のゴーという音で震え、外は2012年の大晦日、難波の夜である。



 都内在住、定職に就かぬスポーツライターと自称して6年目となる30歳の男は、大阪のカプセルホテルにいた。大会前の散髪代に6300円(税込)も費やしたとあって、宿泊に贅沢はできまい。



 翌朝は近鉄線で、全国高校ラグビー大会を観に行く予定だった。元旦のゲームには全国16強が登場。勝者は8強入りに歓喜し、敗者は3年生の引退に泣く。そこにある10代の刹那性を皮膚感覚で伝えることで、ライターは安い宿代と高い散髪代を頂戴するわけだ。



「バス、乗ってきます?」



 埼玉県代表の県立深谷高校が練習を終えた昼、男は横田典之監督に声をかけられた。チームの定宿への移動に付いてきてよいと言うのだ。前日に豪雨を降らせた雲は空から散り、トレーニング会場の近大グラウンドを風が冷やしていた。



「まだ選手の話を聞きたければ、ホテルで飯を食ってからの方がいいから」



 指揮官の広い心に記者は一瞬ためらい、最後は「お言葉に甘えまして」と言った。こうした場合はきちんと礼をしつつ、ちゃっかり同行すべきである。そうすることできっと、大げさではなく新たな地平にたどり着けるのだ。他者のあふれる優しさとほんの少しの自分の運で首の皮を繋いだ半生から、30歳はそう学んでいた。



 バスが高速道路を走る。道中、30歳の座席の隣には小宮山博部長が座った。2005年度に埼玉県立妻沼高校から転勤、いまのクラブでは6度の全国大会出場に携わる。



「ここから先は強い相手ばかり。でも、一生懸命やってくる相手との試合はいい。こっちも何かを感じられます」



 親子以上に歳が離れた選手と練習した直後、小宮山部長は居眠りをせず「一生懸命」の意味を語る。



「頑張ってもお金をもらえるわけじゃない。でも、一生懸命やれば、何かが返ってくる。ここ数年でわかるようになってきた。いままではただ必死でしたけど」



 もっと話を進めて欲しいと感じた30歳は、「十人十色」という言葉について聞く。人にはいろいろな個性があって、それぞれが尊重されるべき。基本的人権が認められるこの国にあって「常識」とされるそんな言い回しとて、本当の意味で理解できているのはほんの一握りの人だけではないか。素直で敏感な選手へのコーチングを重ねた人なら、そんなぼんやりとした仮説にもいくらか心を響かせてくれるかもしれない。



「そうなんですよねぇ」。小宮山部長は、バスの車内を見回して言った。



「色んな奴がいるというのは確かに言葉ではわかっていましたけど、本当の意味でわかったのはここ最近です。ただ最低限のルールを守ってあとは個々の判断で、なんて言うんじゃなく、そこにいる選手のいいところをどうやって引き出して行くかを考える。もっと踏み込んでやらな、と。年を取って、そう考えるようになりました。それもこれも、みんなに教えてもらったことなんですけどね。最初は随分、選手にも迷惑をかけた」



 ただ「認める」ではなく「引き出す」。ライターがうなづくには十分すぎる、刹那の積み重ねから得られた実感だった。



 練習を振り返れば、30歳はどうしたって山沢拓也を目で追った。サッカー少年から転向したての1年時の花園で大ブレイク、3年の夏には日本代表候補入りを果たしたSOだ。最後の冬に向け、より一層、注視されている。小宮山部長もこう証言していた。



「同じモーションでパスの長さを調節できるんです。だから相手はうんとディフェンスしづらい。最初はラグビーをはじめたばっかりでパスができなかったけど、この3年間でうまくなった。この練習をしたら、と言ったらそれを繰り返す。努力をするという意味でも、あいつは天才なんです」



 男は本人にぶつけた。同じモーションで長短織り交ぜたパスができるとの証言があります。真相は。



「そんなことないですよ」
 


 そうだ。この人、取材は好きではなかった。



 もっとも、「超高校級」と謳われる山沢とて高校3年生である。この話をする際は、どうしたって語気を強める。



 いま、勝ちたい理由は。



「仲間と少しでも長くやりたいから。ほとんどの時間、一緒に過ごしてきたんで」



 バスはホテルに到着する。黒とダークブラウンを基調したフロント脇の階段を上がり、食堂へ案内される。「選手は先にシャワー浴びさせるから、今のうちに飯、食べてください」。横田監督はそう言ってオーバーコートを脱ぐ。30歳は、その指揮官の右横に着席した。



「こっちにはいつまでいるんですか」



 親子丼とうどんに箸をつけながら、横田監督は雑談を振る。宿の形状は隠して日程だけを伝えた30歳に、「大変ですねぇ」と続けた。



 毎日ラグビーが観られるんですからある意味、天国。そんな相手の返事には、ひと呼吸おいて同調するのだった。



「ですよねぇ。やっているこっちもそう。こうやって大晦日も練習して、花園で年を越せて。ウチは5年連続出場ですから。いまさら元には戻りたくないですもん」



 もちろん「元」とは、全国への道が絶たれ自宅で正月を送る暮らしを指していた。



 刹那を見続けた伯楽は本当の意味の「尊重」を説き、刹那のただなかを生きる青年はその充実ぶりを覗かせる。そんな人たちと刹那を紡ぐ指揮官は、そのへりでICレコーダーを持つ不審な男にまで目を向ける。



 昼食とわずかな立ち話を終えた14時ごろ、30歳は、あぁ、年の瀬にずいぶん得をしたものだ、と、難波へ渡る。スターバックスコーヒーで本稿の下書きを書き、夜、歌合戦が垂れ流される小箱でプレミアムモルツを飲むのだった。



 2013年元旦、大阪は近鉄花園ラグビー場。深谷は京都府代表の伏見工業高校と戦う。ノーサイド間際、23−19で逆転負けした。「チームのみんながいてくれたから、いまの自分がいる」。各地の記者やらテレビカメラやらに囲まれた山沢はぼそりと呟いた。来年への課題は。そう聞かれた横田監督は、「きょう勝つことしか考えてなかったから…。何時間かしたら、考えます」。一生懸命に戦う相手とのゲームから、何を得られたか。小宮山部長は早くも答えを見つけていた。



「教えられなかった反省。ウチは、田舎の子たちですから。攻められてあたふたするところがあった…。でも、楽しかったです」



 感謝、完全燃焼、後悔、そして爽快感。平和な統治国家にこそ成り立つ元旦の刹那に、狭い宿の男はただただ見入っていた。


 


(文・向 風見也)



 


【筆者プロフィール】
向 風見也(むかい・ふみや)
ラグビーライター。1982年、富山県生まれ。楕円球と出会ったのは11歳の頃。都立狛江高校ラグビー部では主将を務めた。成城大学卒。編集プロダクション勤務を経て、2006年より独立。専門はラグビー・スポーツ・人間・平和。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)がある。技術指南書やスポーツゲーム攻略本の構成も手掛け、『ぐんぐんうまくなる! 7人制ラグビー』(岩渕健輔著、ベースボール・マガジン社)、『DVDでよくわかる ラグビー上達テクニック』(林雅人監修、実業之日本社)の構成も担当。『ラグビーマガジン』『Sportiva』などにも寄稿している。



 


(写真:深谷高校SO山沢拓也(中央)/撮影:松本かおり)

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