コラム 2012.11.22

ジャパン欧州遠征メンバーの学生時代  向 風見也(ラグビーライター)

ジャパン欧州遠征メンバーの学生時代
 向 風見也(ラグビーライター)

 国内で大学ラグビーシーズンが本格化するなか、エディー・ジョーンズヘッドコーチ(HC)率いる日本代表はルーマニア代表、グルジア代表を相手国で制した。敵地で行う欧州諸国代表との真剣勝負における、史上初の白星を奪ったのだ。「みんなの何かを変えたいという思いがそうさせた」。現地映像から伝わるWTB廣瀬俊朗主将の談話は、後に名言となるかもしれない。



 というわけで以下、いまの代表選手が学生時代に残した言葉が並ぶ。あの人はあの時、こんな感じだったのかとお楽しみいただければ(五十音順、敬称略。本稿筆者が直接聞いたものに限ります。一部、読者向けに語尾や接続詞の調整あり。選手の皆様、ご了承ください)。



「真ん中の方が緊張する」(FB 五郎丸歩・早大→ヤマハ)



 プレースキックのことである。難しい角度からより「決めて当然」とされる位置からの方が蹴りにくいとの意味か。ただ、ジャパン不動の「15」となった五郎丸は現在、真ん中とか端といった事柄と無関係の境地にいるような。



「1回1回の精度を大事にしてチャンスを活かしていきたい」(SO/CTB 立川理道・天理大→クボタ)



 主将として臨んだ最終学年時の大学選手権を準優勝で終え、日本選手権でトップリーグ入りを控えるキヤノンと対峙することとなる。好機がより限られるであろう格上の社会人を相手に、数少ない攻撃機会で「精度」を保ちたいとした。2012年2月25日、大阪は近鉄花園ラグビー場。13−37と敗戦。天理大の黒ジャージィの「10」は今秋、代表の赤白ジャージィの「12」をつけアタックを機能させた。



「僕にとってキックは責任。PRの人がスクラムを組むように」(SO/CTB 田村優・明大→NEC)



 興に乗れば急角度からも次々とゴールキックを成功させた。勝敗のカギを握るスクラムで最前列のPRが骨を軋ませる一方、自分は得点機会をきちんとものにしなければ、と思っていた。別の場所ではこうだ。あなたにとって責任とは。「チームのために身体を張ることです」



「アルティメット・クラッシュとペネトレイト。言葉が違うだけで、実は目指すものは一緒なんですよね」(PR 畠山健介・早大→サントリー)


 


 4年時。就任2年目だった中竹竜二監督が打ち出したスローガン「ペネトレイト」のもと、激しい戦いざまを文字通り貫き大学日本一となった。シーズン中盤の2007年11月23日、東京は秩父宮ラグビー場での慶大戦に際してのキーワードは「アルティメット・クラッシュ」だった。徹底的破壊。2年まで指導を受けた前任者、清宮克幸元監督が打ち出した名文句だ。当該のゲームを40−0で制し、勝利チームの背番号「3」だった畠山はわかりやすく解説してみせた。あらゆるものごとをとことん言語化する気質はいまも変わらず。



「思い切って飛び込むことですね」(SH 日和佐篤・法大→サントリー)



 学生時代から素早く球を捌く名手だった。なぜ、そんなことができるのか。頭をひねりつつ秘訣を明かした。「飛び込む」先は、両軍が激しくやりあう接点である。少しでも様子を伺うとボールタッチのタイミングが遅れるからと、青と橙ジャージィの背番号「9」はとにかく機械的に「飛び込」んだ。次の瞬間、同期の司令塔である文字隆也にパスを届けた。当時サントリーのGMだったジョーンズ現代表HCにその才を認められ、以後、状況に応じ多彩な技能を発揮するスタイルに目覚めることとなる。



「僕のなかではよけて、よけてと前に進んでるつもりなんすけど、皆からは全然そんなことないやんけって言われます」(HO 堀江翔太・帝京大→パナソニック)



 新興校のNO8として注目された学生時代、概ね「パワーを活かした突破が長所」との論調で語られた。多くのチームメイトの見立ても同じだっただろう。ただ、本人の認識は違う。相手守備網の人数や個々の出方を精査、最も捕まりにくいコースを見出し、なぞる。結果、向こう側のタックラーを蹴散らしてしまう。このほど南半球最高峰リーグへの加入が決まったショウタ・ホリエの、それが神髄である。



「普段の練習からリスペクトされるようになりたい」(FL マイケル・リーチ・東海大→東芝)



 2年で選ばれた日本代表での抱負をこう語った。常に手を抜かぬ勤勉さで周囲の鏡になりたい、と。当時、身体のキレを維持できる範囲内で体重を増やしたいとも考えていた。秋のシーズンが深まれば「いまはなかなか(体重を)増やせない」と悩みつつ、「ジャパンが始まったら宮崎牛で太れる」。ジョン・カーワン前HC時代のジャパンでは、宮崎合宿が慣習だった。



「何も考えず、ありのままをただ喋ってるだけですね。いまも」(WTB 山田章仁・慶大→ホンダ→パナソニック)



 2000年代中盤、大学ラグビー界きっての人気選手だった。試合の後は必ずと言っていいほど記者団に囲まれ、行儀の良さと奔放さを混ぜ合わせ大体は正直に話していた。そして4年時に応じた単独インタビューの折、取材対応での心がけを聞かれまっすぐな瞳でこう返す。もっともプロとなってから、こう呟いたこともあるが。「あ、初めて会った人には言葉を選んじゃうかもしれないですね。やっぱり」



(文・向 風見也)



 


【筆者プロフィール】
向 風見也(むかい・ふみや)
ラグビーライター。1982年、富山県生まれ。楕円球と出会ったのは11歳
の頃。都立狛江高校ラグビー部では主将を務めた。成城大学卒。編集プロダクション勤務を経て、2006年より独立。専門はラグビー・スポーツ・人間・平和。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)がある。技術指南書やスポーツゲーム攻略本の構成も手掛け、『ぐんぐんうまくなる! 7人制ラグビー』(岩渕健輔著、ベースボール・マガジン社)、『DVDでよくわかる ラグビー上達テクニック』(林雅人監修、実業之日本社)の構成も担当。『ラグビーマガジン』『Sportiva』などにも寄稿している。



 


 


(写真:慶應義塾大時代の山田章仁/撮影:BBM)

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