国内 2012.09.20

【藤島大コラム】 トヨタのジレンマ

【藤島大コラム】 トヨタのジレンマ


toyota


 


 


くん[訓]。?漢字を国語にあてて読むこと?字義の解釈?さとし。おしえ。いましめ。(広辞苑第二版補訂版)。家訓とは「家庭での教訓」(同)。ちなみに本コラム筆者の少年期の家訓とはこうだった。



「盗むな。ウソをつくな。床の新聞を踏むな。解散、自由行動!」



盗んだことだけはいっぺんもない。ウソをついてはならないが秘密はあってもよい。そう気づくのは、ずっと後年である。「秘密はあったほうがいい。大人なんだからね」(青柳拓次『絵本』)。好きな歌詞だ。解散はしっ放し。



部訓というものもある。昔、学生のころ、慶応大学の日吉のラグビー部寮に遊びに行ったら壁だったか黒板だったかに確かこうあった。



「花となるより根となろう」



その瞬間、想起されるのは、良家の子弟のカーディガン姿では決してなく、肩がスクラムのためだけの稜線を描くフロントローの凸凹の顔面だった。



トヨタ自動車のラグビーにも部訓はきっとある。勝手に想像すれば「大きく激しく速く前へ」。そんなスタイルが魅力だ。またそうなった時は、昨年度10位のチームでも手がつけられないほど強かった。自陣ゴール前から、文字通り「一気」に敵陣深くへ攻め立てる迫力は、トップリーグ随一である。観客にも気持ちがよい。もしかしたら吹っ飛ばされる相手さえ少し高揚するのではないか。



他方、どこかお人好しだ。下位チーム、同格にあっけなく黒星を喫する。まっすぐ豪快、個のたくましさを前面に打ち出す分、時に緻密さには欠ける。そこで歴代の指導者は誰であれ「単純明快な強さ」に「的確な判断」を加味しようと心を砕いてきた。



昨年度まで指揮を執った朽木泰博前監督もそうだった。自身は理論派にして技巧派のバックスだったから「考える文化」を導入しようとしていたはずだ。それは誠実な態度だった。「このままでは限界がある」という問題意識は絶対に正しい。しかし、そちらを強調すると、本来の野性味が削れてしまう。勝ちきれずに「原点回帰」。そんな繰り返しだ。ジレンマ。誰が指導しようと楽ではない。ちなみに、ここでの「ジレンマ」は「相反する二つの事の板ばさみになって、どちらとも決めかねる状態」である。



廣瀬佳司新監督もまたそんな難題に取り組む。先の九州電力戦は象徴だった。背番号10、スティーブン・ブレットがしっかりキックで試合を制御、前へ出る相手防御をうまくいなし、いつにないほど手堅くリードできた。後半2分までに19−0。しかし、しだいにトヨタから轟音が消えた。おとなしくなったのである。スクラム、ターンオーバーの威力は揺るがぬものの全体に迫力をなくした。しだいに追い上げられて19−15で辛くも逃げた。ジレンマ。ああ、またしてもジレンマ。



試合後、もちろん、廣瀬監督にはわかっていた。



「蹴りすぎてリズムに乗れませんでした。もっとテンポアップしたかった」



完璧に近い必勝のコントロールが、クラブの持ち味とはぶつかり、苦戦をもたらす。最後まで列を守るのか。いや「解散、自由行動」か。正解はいずこに。ただし「持たざる者」の立場からは贅沢な悩みでもあろう。いつだってトヨタ自動車は最も魅力なチームのひとつである。根にも花にもなれるのだから。



(文・藤島 大)


 


 


 


【筆者プロフィール】


藤島 大(ふじしま・だい)


スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。著書に『ラグビーの情景』(ベースボール・マガジン社)、『ラグビー大魂』(ベースボール・マガジン社)、『楕円の流儀 日本ラグビーの苦難』(論創社)、『知と熱 日本ラグビーの変革者・大西鉄之祐』(文藝春秋)、『ラグビーの世紀』(洋泉社)、『ラグビー特別便 1986〜1996』(スキージャーナル)などがある。また、ラグビーマガジンや東京新聞(中日新聞)、週刊現代などでコラム連載中。J SPORTSのラグビー中継でコメンテーターも務める。


 

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