コラム 2023.06.03

【ラグリパWest】耐えて、花開く。稲場巧[近大/PR]

[ 鎮 勝也 ]
【ラグリパWest】耐えて、花開く。稲場巧[近大/PR]
近大で1年生から右PRとして公式戦に出場している稲場巧。当時はS東京ベイに進んだ紙森陽太らに鍛えられた。3年生となり、その力を遺憾なく発揮する



<HAPPY ORANGE>
 発売中のラグビーマガジンの表紙である。S東京ベイ(旧クボタ)のリーグワン初制覇を祝う。

 そのオレンジ色ジャージーの左PRは紙森陽太。試合後はずっとニコちゃんマークだった。社会人2年目。頂点に立つ。

 ふと、その近大時代、右PRだった新人に思いが飛ぶ。紙森の最終学年は関西2位。この順位は21年ぶりの最高位だった。逆サイドでこの1年生もまた好成績を支えた。

 稲場巧である。

 今でもブルーのジャージーの3番を任されている。黒い日焼けが精悍さを醸しだす。2年前のことを思い出す。

「あの頃は練習に出るのが怖かったです。レベルは高い、先輩方の体は大きい、サインプレーはわからない。そんな状況でした」

 抜擢理由を当時、FWコーチでもあったOBの松井祥寛(よしひろ)が語る。
「スクラムがダントツでよかったのです」
 松井は現在、神戸(旧・神戸製鋼)で採用などを担当している。卒業後にプレーした。

 右PRに不調やケガが相次いだこともある。U20日本代表経験者の辻󠄀村翔平や村木亮介、楠本唯陽(いお)らである。

「それでもまさか自分が選ばれるとは…。母校は強くないし、推薦で来ている先輩や同期は花園常連校の出身も多かったのです」

 稲場の出身は近大附。松井は覚えている。
「春は週末しか練習に出られませんでした」
 スポーツ推薦の主たる学部は経営。稲場は付属校からの入学だったため、経済だった。
「練習、授業、練習、授業を繰り返した日もあります」
 経営学部は練習が終わった午後以降に講義をかためられる。 

 ラグビーと勉学ともに大変な初年度だった。
「毎日30分ほどは個人練習をしました。タイヤ押し、亀、首とりなんかですね」
 亀は四つん這いになって、ヒザを90度に曲げて進む。首は仲間に押さえてもらう。

 スクラム練習では涙をこぼす。
「結構、泣きました。きつかったり、自分自身が情けなかったり…」
 高校時代は1.5メートルで止まるが、大学では果てしなく押される。

 中村直人は話してくれたことがある。
「スクラムで泣くようになったら本物です」
 中村は同志社大からサントリー(現・東京SG)に進み、右PRとして日本代表キャップ20を得る。1999年のW杯にも出場した。

 逃げなかった結果は秋の公式戦全8試合出場に形を変える。
 先発は7試合。関西リーグでは6勝1敗の2位。黒星は京産大のみ。優勝チームには12−16だった。
 続く大学選手権は9大会ぶりの出場。58回大会は慶應に10−13で敗れた。初戦の4回戦だった。

 昨秋はリーグ戦7試合すべてに先発した。ケガの少ないことも稲場の長所である。

 この春、入学時に比べ、体重は10キロほど増やし110キロになった。身長は175センチと変わらない。

 5月28日には関学と対戦した。関西春季大会の2回戦である。試合は7−38。春の関西4強入りを逃した。

 最初のスクラムは前半3分、耐えて、左PRの今井無多、HOの平沼泰成を前に出さす。コラプシングの反則を奪った。しかし、4分後には同じ反則を取られた。
「フッキングがうまくできず、スクラム全体が浮き上がってしまいました」
 反省点は残る。関学も強さはある。

 リーグワンは7チームが視察に訪れた。同日には京都で京産大×帝京の試合があった。総監督の中島茂は話す。
「稲場にはもういくつか話は来ていますよ。ウチはあいつと植田やから」
 7人制日本代表で同学年のWTB植田和磨と稲葉は来年の採用の肝になって来る。

 個人的な強さだけが注目されがちだが、稲場はスクラムをひとりで組もうとは思っていない。豊田大樹の言葉を胸に秘める。
「8人でまとまる」
 近大附の先輩から高2の時に教わった。

 豊田はPR。日大から近鉄(現・花園L)に進み、今はアシスタントコーチなどをつとめている。父の偉明(ひであき)もこの高校から直接、近鉄に入った。同じPRとして日本代表キャップをひとつ持っている。

 近大附の創部は1948年(昭和23)。これまで冬の全国大会に5回出場している。豊田父が正選手だった53回大会(1974年)には最高の4強敗退。優勝する目黒(現・目黒学院)に6−17だった。最近の出場は82回大会。1回戦で日川に0−33で敗れている。

 稲場は近大附を選んだ理由を話す。
「近大がついてきますし、スクラムに力を入れるこの大学のラグビーが好きでした」
 競技を始めたのは5歳。友達のすすめで、奈良の生駒少年ラグビークラブに入った。このチームで中学までを過ごした。

 高大一貫は6年目に入った。
「関西制覇をして、大学選手権はベスト4以上に行きたいです。個人的には日本一のスクラマーになりたいです」
 日本で一番勢いのあると言っていいこの学校には愛も恩もある。

 紙森は関学戦の前日27日にグラウンドを訪れ、優勝報告をしてくれた。
「紙森さんは僕に自由にスクラムを組ませてくれました」
 次は自分が紙森になる番だ。近大をまだ見ぬ高みに押し上げたい。それだけの経験とトレーニングを稲場は積んできている。

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