国内 2023.01.05

朴訥で内気だった少年、ぐいぐい前へ。上杉太郎[帝京大3年/PR]

[ 編集部 ]
朴訥で内気だった少年、ぐいぐい前へ。上杉太郎[帝京大3年/PR]
決勝進出を決めて笑顔に。写真中央が上杉太郎。(撮影/松本かおり)
将来もラグビーを続けていきたい。写真は準々決勝の同志社大戦。今季ヘッドキャップを被っているのは耳の腫れが痛いため。(撮影/松本かおり)



 自分のことを「内気で、(積極的に)前に出るタイプではありません」と話す。
 そんな3番が、ぐいぐい前に出て試合の流れを引き寄せた。

 連覇まで、あと1勝となった。
 1月2日、帝京大学が全国大学選手権の準決勝に勝って2年連続で決勝への進出を決める。
 71-5と筑波大を圧倒した。

 勝者は終始危なげなく試合を進めた。その要因のひとつが、スクラムの優勢だったことは明らかだった。
 会心の一戦を終え、3番の上杉太郎(3年/176センチ、113キロ)は穏やかな表情で試合を振り返った。

「いいスクラムを組めました」
 帝京大FWは全員で結束し、相手を押し込むスタイルを目指している。
「8人でまとまれました。フロントローとうしろの5人が一体になって押し込む。それが、よくできました」

 チームが求める3番の役目を理解している。
「自分で行きすぎないように気をつけています。HO、1番とつながり、壁になって、まっすぐ押す。うしろの人たちにしっかり押してもらう」
 強力パックのメカニズムを、そう口にした。

 初めて国立競技場のピッチに立った。
 2年生だった昨シーズンの準決勝、決勝はスタントから見つめた。
「上から見た(昨年の)光景と、下に立って感じた広さはだいぶ違いました」

 1年時、2年時と数試合ずつ関東大学対抗戦に出場するも、頂上決戦の舞台は踏めなかった。
 しかし力を蓄え、3年生になって信頼を得た。そして、結果を出すことで期待に応えた。

 花園出場12回を数える熊本西高出身。上杉自身、1年生、2年生のときには花園の芝を踏んでいる。
 しかし、大学入学後にチームメートとなった仲間たちにはトップクラスの強豪校出身者が多数いる。
 強豪大学に進学するのは「正直こわかった」と当時の胸中を思い出す。

「九州の大学へ進むことも考えましたが、高いレベルでチャレンジしてみようと思って決めました。セットプレーもフィールドプレーもみんなレベルが高く、1年生のときは(周囲との)レベルの差を感じていました」

 厳しい現実を知った地方公立高校出身者がその後浮上できたのは、自身のことをよく理解していたからだ。
「努力しないと成長しない人間と分かっていました。なので、人より頑張ろうと思った」

 今季レギュラーの座をつかむことができたのも、下級生の頃より自分の役割であるセットプレーとブレイクダウンの技術を高めたからだ。
 特にスクラムに関しては周囲とのコミュニケーション能力が高まり、安定感が増した。

 今シーズンは関東大学対抗戦Aの最終戦、慶大戦でプレーヤー・オブ・ザ・マッチ(以下、POM)に選ばれる活躍も見せた。
 受賞後には、メダルを首にかけられた後にマイクを握り、メインスタンド前で挨拶をする時間を与えられる。

「まずは、応援ありがとうございました。80分タフに戦い続けて勝ち取った、全勝優勝だと思います。選手権も応援よろしくお願いします」
 朴訥ながら、素直な思いが伝わるスピーチだった。

 本人が自己分析するように、「内気で控えめな性格」だ。
 それを知っている少年時代の恩師・仲山延男先生(現・県立玉名高校付属中ラグビー部監督)は、POM受賞後のスピーチで上杉がちゃんと話せるか心配だったという。
 しかし、教え子は立派になっていた。

 仲山先生は、グリーンベルトラグビースクール、玉名中で上杉を指導した。
 小6の時、友人に誘われてグラウンドにやってきた少年は、すでに大柄だった。
「でも、野球をやっていたこともあり、見た目より器用さがありました」

 当時からおとなしかった。
 ラグビースクールを卒業する日、6年生が挨拶することになった。
 目の前にいた上杉をトップバッターに指名すると、言葉より先に、感極まって涙をこぼしたことを覚えている。
 寡黙。そして純情が伝わってくる。

 中学時代の水曜日の練習は夜だった。上杉はいつも、練習後にオニギリを10個ほど食べていたそうだ。
 玉名中はランニングスタイルが伝統のチーム。その中で可能な限り走力を上げ、自分の持ち場では常に100パーセントの力を発揮する選手に育った。

 高校進学時は、県外の強豪からも目を向けられる存在だった。
 しかし、本人は熊本市内にある熊本西高への進学を希望する。
 同校ではフロントローとして日体大、リコーで活躍した門脇永記監督の指導を受けてさらに力を伸ばす。

「ボディーポジションをしっかりと定めることと、うしろからの押しを伝える大切さを教えてもらいました」
 故郷で土台を鍛えたことで、トップチームに加わった後に大きく進化することができた。

 今季から日本代表のPRとして活躍していた相馬朋和監督がチームの指揮官となった。的確なアドバイスをもらう。
 それがさらなる成長にもつながる。
「背骨が内側を向いてしまう癖があったのですが、監督に指摘してもらい、意識してまっすぐ組めるようになりました」

 自分の活躍が、玉名中ラグビー部OBのLINEグループで伝えられているのをたびたび見る。
 先輩たちや地元の仲間たちが盛り上がっている。
「みんなが喜んでいてくれて嬉しいです。熊本からでも活躍できる可能性があると、いろんな人が思ってくれたらいいですね」

 決勝に向けて「スクラムは試合のキーになると思っています。勝ち切るためにも、いいプレーをしたい」とキッパリ言った。
 人懐っこい笑顔はそのままも、内気だった少年は変わりつつある。


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