各国代表 2022.07.05

叔父とともに戦った。記念のテストマッチ(対日本代表)で大活躍。ヨラム・モエファナ[フランス代表CTB]

[ 福本美由紀 ]
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叔父とともに戦った。記念のテストマッチ(対日本代表)で大活躍。ヨラム・モエファナ[フランス代表CTB]
182センチ、95キロ。ボルドー所属の21歳。(撮影/松本かおり)



 7月2日の日本代表戦、最初にボールを持ったアクションでは桜のジャージーのCTB、ディラン・ライリーとのコンタクトでうしろに倒され、そのはずみでボールを失った。
 しかしフランス代表CTB、ヨラム・モエファナのこの日の活躍は多くの人の目に留まったことだろう。グラウンドのそこかしこに現れ、時にはパワフルに体当たりし、時にはステップやパスでスペースを生み出した。

 後半18分、日本の防御をなぎ倒し、WTBダミアン・プノーのこの日2本目のトライのきっかけを作り、その3分後には自ら蹴ったボールを拾い、ディフェンダーを引きずりながらトライを決めた。

「何かしなくてはならなかった。本能的にキックした。うまくいくかどうかわからなかったから僕も少し驚いた。うまくいったということは判断が間違っていなかったということですね」と照れくさそうに振り返った。

グラウンドの外では「控えめ、おとなしい」と言われている。しかし、グラウンドにいる時はアグレッシブ。とてもトップ14でも2シーズンを終えたばかりの21歳とは思えない。

 モエファナはフランスの海外準県である、ウォリス・フツナのフツナ島にあるレーバという人口約320人の小さな村で生まれた。父のタオフィフェヌア・ファラテアもラグビー選手だった。
 父は2000年代にフツナから初めてフランス本土にラグビーをしに来た人物だ。トップ14の前身であるトップ16に当時所属していたオーシュと契約をしたところで大きな怪我を負い、ラグビーを続けることができなくなってしまった。

 父に続き、モエファナは13歳の時に叔父(父の弟)であるタプ・ファラテア(現在2部リーグのアジャン所属)と一緒にフランス本土にやって来た。
 プロ選手になるためだ。

「フランスに来て最初の頃はヨラムにはつらかったと思う。僕もまだ24-25歳で、練習に試合にと自分のことで精一杯で彼の面倒を見る余裕がなかった。朝は一緒に出かけ、昼にヨラムを迎えに行って一緒にマクドナルドに食べに行った。マクドナルドの割引券をクラブからもらっていたからね。夜はヨラムは僕についてきて、僕の練習が終わるまで待っていた」と叔父は語る。

 半年後には祖母が面倒を見るためにフランスへ来てくれた。

 フランスでの最初のラグビーは、最初に叔父がプレーしていたリモージュのラグビースクールだった。
 トゥールーズのエスポワール(アカデミー)のトライアルを受けたが不合格になった。「一日中泣いていた」と叔父のタプ・ファラテアは言う。
 しかしその後2部リーグのコロミエのエスポワールに合格した。

 2018年に18歳でコロミエでデビュー、フランスU20代表にも選ばれた。翌シーズンからボルドーのエスポワールに入ることになった。1年間エスポワールでプレーした後、2020年リヨン戦でのトップ14デビューから6連戦、4トライを決め、その年のオータムネーションズ・カップのイタリア戦で代表デビュー、翌週のイングランドとの決勝は背番号13をつけた。

 その後もボルドーでコンスタントにパフォーマンスを続け、2022年のシックスネーションズではCTBヴィリミ・ヴァカタワの負傷もあり、膝の負傷で出られなくなった最終戦を除いて開幕から4試合全出場。スタッフの信用を獲得した。

 パワーと爆発力があり、スピード、動きの速さ、フィジカルの強さ防御を突破する。
 さらにパスのテクニックも高く、オフロードパスも器用にこなす。フランスのラグビー記者や識者が一押しする選手だ。

 ボルドーでのチームメートで、今回の日本代表戦で一緒にプレーしたLOトマ・ジョルメスは、「ヨラムはとんでもない試合をした。彼はいつも素晴らしいパスをし、敵を破壊してくれる」と讃えたことを伝えると、「そんなことはありません。僕はただチームが前進できいるように1対1の対決で勝とうとしているだけです。チームのために仕事をしているだけです」とチームファーストの答えが返ってくる。

 この日本代表戦でもう一つモエファナにとって嬉しかったことがある。後半途中出場した、彼の叔父であるPRシピリ・ファラテア(25歳)と一緒にプレーしたことだ。

「シピリは僕の父の歳の離れた弟に当たり、フツナで兄弟のように一緒に育ちました。小さい頃はフランス代表で一緒にプレーすることになるなんて思いもしなかった。とても嬉しかったです」と満面の笑みになった。

 この試合を見たモエファナの父は、「この日本対フランスは私の心に一生残る試合になりました。私の後に続いてフランス本土に出て行った弟と息子が一緒にフランス代表でプレーして勝利したのですから。しかもヨラムがトライを決めた。とても幸せです。でもここだけの話ですが、息子の試合中は激しいコンタクトで怪我をしないかと、実はいつもハラハラしています」とレキップ紙に語っている。

 子どもを思う親の気持ちは、どこでも同じである。


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