小瀧尚弘、東芝→神戸移籍の理由を語る。目指すは「日本人リアルLO」。
鹿児島に生まれ、八王子で大学日本一に輝き、府中の地で6年間揉まれた。来年30歳になる小瀧尚弘は7月から神戸の住人となった。現在はコベルコ神戸スティーラーズのプロ選手として、来年1月開幕のリーグワンに備えている。
東芝では社員選手。「ラグビーに真摯に向き合いたい」とプロになることを決断した。
「最初は東芝でプロになろうと考えていましたが、自分の人生なので視野を狭めたくないと、色々なチームのお話を聞きました」
その中で、スティーラーズのアプローチに心を揺さぶられた。
「僕のプレーに関して、冊子が出来るほどの資料を用意してくださった」
チームからの説明の場。デーブ・ディロンHCはじめスティーブ・カンバーランドFWコーチ、アンドレ・ベッカーアシスタントコーチら、それぞれの国からコーチ陣がオンラインで顔を揃えた。そこで、小瀧自身のプレーを徹底的に分析した内容を説明された。
長所、短所。それぞれが具体的な数値をあげて教えてくれた。まだ本人が返事をする前の席だ。分析が無駄になる可能性もあった。
「こんなに僕のことを見てくれているんだと。“うちで思い切り頑張ったら、ジャパンも見えて来る”と言われました」
神戸への移籍を決断した。再び桜のジャージーに袖を通すことこそ、小瀧がプロに踏み切った理由だ。
194㌢110㌔のサイズ。鹿児島実時代から帝京大に進学。高校代表、ジュニア・ジャパン、大学選手権優勝と順調に歩んだ。
東芝入社1年目の2015年度にはトップリーグ準優勝。新人王にも選ばれた。2016年には日本代表にも呼ばれ、4月30日のアジア・ラグビーチャンピオンシップ韓国戦で初キャップを獲得。翌年の同大会にも呼ばれたが、その後、定着することはできず。キャップ数は10で止まったままだ。
「2019年のワールドカップを観て、日本代表が勝って嬉しい半面、“俺は何をやってるんだろう”と。ジャパンに全く呼ばれていなければ、そうは思わなかったかもしれないけど、一度は選ばれて、期待に応えられなかった」
ジャパンを外れてから、もがく日々が続いた。チームもトップリーグで9位、6位、11位と浮上できずにいた。
「準優勝を知っているだけに悔しさはありました。“こんなはずじゃない”から、状況を変えられない不甲斐なさ、悔しさがずっと続いていた」
30歳を前に、さらなる成長を目指してプロ選手に踏み切った。当初は東芝に残ろうと考えていたから、チームを去るときに思いがあふれた。
「東芝は温かい人ばかり。そういう人たちに囲まれて6年間いたので、離れるときは涙を堪えられなかった」
急きょ決まったクラブハウス前での退団セレモニー。「いきなりの発表になって、すいません」と言った後は言葉にならず、後から「何言ってるか、わからなかった」と突っ込まれた。仲間は最後まで笑顔だった。
現在チームは自主トレ期間。毎日、新しくなった灘浜のクラブハウスに通う。
「素晴らしい環境でやらせてもらってます。これから神戸で試合に出て、次に(ジャパンの)チャンスがあるなら、必ずその期待に応えたい。勝敗を左右できる選手に成長したい」
目指すのは日本人のリアルLO。大野均、真壁伸弥、伊藤鐘史…。彼らの引退後、その呼び名は空席だ。
「僕はLOしかできない。そこで頑張らなくてどうするんだと」
退路を断ち、日本代表に挑むLOは、そうまなじりを決した。