コラム 2021.06.26

悔しさ。夢。そのすべてが、上原哲(キヤノン)のラグビー人生を豊かにした。

[ 編集部 ]
悔しさ。夢。そのすべてが、上原哲(キヤノン)のラグビー人生を豊かにした。
今季開幕前のプレシーズンマッチでは、地元・柏でのプレーも叶った。赤ジャージー右が上原。(撮影/松本かおり)



 トップリーグ2021が終わる1か月ほど前、自分からチームのGMに現役引退の意向を伝えた。
 入団から5シーズンを過ごした。年数に関係なく、「やり切った」と感じたから決断した。
 ラグビーを大好きなまま、ジャージーを脱いだ。

 上原哲の歩んだラグビー人生は、この世界のいわゆる一般的な道とは違う。
 茗溪学園高校では花園の芝を踏めていない。
 大学は明治学院大。関東大学対抗戦Aで戦ったのは3年時だけだ。

 それでもトップリーグでプレーできた。このスポーツが大好きで、どんなときも夢を諦めなかったからだ。
「Bリーグからだってやれました。環境を言い訳にすることなく、必死にやればできます。同じ境遇でプレーしている人たちの励みになれたら嬉しいですね」

 明学大のOBでトップリーガーとなれたのは、自分を含め3人だけ(塩山瑛大、赤堀龍秀=ともに先輩でリコー)。そう聞いて可能性は低いと諦めるか、夢があると思うか。それによって人生は決まる。
 上原は後者だった。

 小学4年生のときに松戸ラグビースクールに入った。高校で茗溪学園に進学したのは、花園に憧れていたからだ。
 でも、思いは届かなかった。
 1年時、先輩たちは聖地の芝を踏んだ。
 しかし、自分が10番のジャージーを着るようになってから、2年時は決勝の常総学院戦でインジャリータイムの逆転負け。3年時は清真学園に競り負けた。

 チームを勝たせられなかった。
 司令塔としての悔しさが、その後の上原のエナジーとなった。
 明学大をAに昇格させたのは2年生の時だ。入替戦で成蹊大を破り、チームを高みに導いた。
 この年の学習院大戦、相手チームのFBは現在サントリーで活躍する江見翔太だった。
 関東大学対抗戦Bのその1試合のグラウンドから2人のトップリーガーが生まれた。夢がある。

 キヤノンでの日々を振り返ると、1年目のデビュー戦、リコー相手の試合が印象に残っている(2016年9月16日)。
「(目指していたところに)たどり着いた。スタートラインに立った。そんな日でしたので」
 試合終了間際からの出場。約3分のプレー時間だったか。モールを押した。

 在籍5シーズンの中で、もっとも出場機会の多かったのが2年目だった。この年は順位決定トーナメントも含め、主にFBで11試合に出場した。
 1年目の1試合出場から飛躍的に成長したのは、1シーズン目終了後に参加した関東代表での経験が大きかった。NZに遠征し、NZU(NZ大学クラブ選抜)と戦った。

「他チームの選手たちと一緒に過ごす時間がすごく刺激的で、勉強になりました」
 そう振り返る。向上心に火がついた。
 その年は、サンウルブズに練習生として呼ばれる期間もあった。
 短い期間だったとはいえ、トッププレーヤーと練習をともにしたことは成長のスピードを高めてくれた。

 トップリーグのオフィシャルファンブックの個人寸表欄には『歩くラグビーマガジン』とある。
「昔からラグビーが大好きで、いろんな形で情報を得てきました」
 だからキヤノンに入った時、菊谷崇、小野澤宏時というジャパンのレジェンドと風呂場で一緒になると「おおっ」となった。

 ウィリー・ルルー(南アフリカ)、アダム・トムソン(NZ)などワールドクラスもいた。
 夢のようだった。
 2018年にはイズラエル・ダグ(元オールブラックス)もやって来たから、驚いた。
「大好きで、携帯(電話)のトップ画面にしていたこともありましたから」

「目標を持ち、それに向かって走り続けたラグビー人生だった」と振り返る。
「社業でも同じように目標を持って頑張りたいと思います。イーグルスOBとして、ラグビー部OBはやるな、と言われるようにしたい」
 しばらくは、のんびりラグビー観戦を楽しみたいと笑う。そしていずれ、経験を大学の後輩たちに伝えたいとも思う。

 トップリーグはいいぞ。
 諦めずに走り続ければ夢は叶うぞ。
 自信を持ってそう言える。

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