国内
2018.12.12
ラグビーで一生の友を得る。
ぽろぽろと涙をこぼした紀伊遥太朗主将。(撮影/松本かおり)
「やり切れた」と笑顔を見せた天野光陽。(撮影/松本かおり)
12番の紀伊主将。天野の長所を引き出す。(撮影/松本かおり)
鋭くタテに走るプレーが得意な天野。(撮影/松本かおり)
戦いを終えたキャプテンは自分を責めた。
「1年生のときも入替戦に出ています。(自分たちは)いつもこの位置にいる。それをなんとか変えようと思ってやってきましたが、変えられなかった。内容どうこうでなく、後輩たちをAグループに上げられなくて悔しい。人生最大の後悔です」
背番号12を背負い、必死に戦う紀伊遥太朗(きい・ようたろう)の姿を見た。
でも、「後輩たちに残せたのは勝てなかった悔しさだけ」と言って、また唇を噛んだ。
12月9日に熊谷ラグビー場Bでおこなわれた関東大学対抗戦入替戦。今季Bグループ2位だった明治学院大はAグループ7位だった日本体育大に挑むも7-74の大差で敗れ、上位ステージへの昇格はならなかった。
通用する部分は少なくなかった。前半は7-24。しかし、後半は相手の圧力を受けてミスが出る。そこにつけ込まれて次々にトライを許した。
体格やパワーでは相手に劣る。そんな前提がありながらも、スクラムでは押し込む場面もあった。ブレイクダウンで上回ることも。ボールを動かして勝とうと、その準備を1年かけてやってきた。
「でも、どれも足りていなかったということ」
昨年は入替戦の舞台にも立てなかった。前進はしているのだが、ターゲットの背中は以前より遠くなったことが悔しい。
青春時代に終わりを告げるホイッスルが鳴った。同主将は、卒業後は大手ゼネコンに就職する。
「こんなに熱くなれるのは最後だと思います」
長男・悠佑さんは体を壊して楕円球の道から離れるも、次男の皓太(明大→中部電力)、四男の遼平(桐蔭学園3年)と、兄弟たちはそれぞれのピッチを駆けている。ラグビー一家に生まれ、18年間このスポーツを楽しんできた。
相模原ラグビースクール。日川高校。そして明治学院大。すべての時間は宝物だ。
「自分はトップレベルでやれる選手ではありませんでしたが、ラグビーをやってよかった」
一生の友と出会えたからそう思う。
大切な友のひとりが、この日13番を組んでコンビを組んだ天野光陽(あまの・こうよう)だ。日川高校時代から7年間、CTBでともにプレーしてきた。
「僕が12番で光陽が13番。ずっとそうでした。ディフェンスのウラに出ればついてきてくれる。ズラせば、それに合わせて動いてくれる。言葉はなくても分かり合えるぐらいになっていました。ラグビーだけでなく、なんでも話して、互いに理解している。ラグビーが、人生の中で大事なものと引き合わせてくれたと思います」
天野も同じ気持ちだった。
中学時代まではバスケットボールや陸上をやっていた。当時・日川高校ラグビー部の指揮を執っていた元日本代表FL、梶原宏之監督に誘われてクラブに入る。そこで友と出会った。
「僕は遥太朗の気持ちが分かる。あいつも僕のことを理解している。そんな関係で、お互いの長所を引き出し合える感じでした。きょうも、これまでずっとやってきたプレーを出せた。遥太朗が(外に)ノビて、僕がタテに走り込んで防御を切り裂く。これ、特に決めているわけでもなく、そうした方がいいシーンになったらお互いに言葉なくやれるんです」
キャプテンと違って、天野はこの日の試合を終えて「悔いはない。4年間、出し切れた」と笑った。卒業後は大手銀行への就職が決まっている。
「点差は離れてしまいましたが、4年生や、応援に来てくれた人たちの大きな声援の前でやり続けてきたことを出せましたから。(クラブの仲間やOB、関係者も含め)みんなで戦っている気がしました」
紀伊主将とは「ラグビーだけの付き合いではない」とあらためて言った。
「遥太朗はキャプテン、僕は主務。お互いにチームをまとめる立場でした。一緒にご飯を食べに行っても、どうやったらいいチームになれるかをいつも話していました」
支え合っていた。ああでもない、こうでもないと悩んだことは、この先の人生できっと活きる。
ともに笑い、泣いた日もあったけれど、それぞれが大学ラストゲームを終えて見せたのは、涙と笑顔。
ふたりは、きっと互いの思いを分かり合っている。