国内 2016.08.16

医学部からラグビー部。慶大のSOには古田京、帝京大戦で花園の借り返す!

医学部からラグビー部。慶大のSOには古田京、帝京大戦で花園の借り返す!
充実した夏を過ごしている慶應義塾大の古田京(撮影:福島宏治)
 長野県は菅平高原。ひと時の休息に笑顔を浮かべる。8月15日の午後は、急きょオフが与えられた。ここ数週間の歩みを振り返り、古田京は声を弾ませる。
「去年よりもチームに関われていて、春からやりたいことも言えている。合宿中もそうです。充実感、あります」
 日本ラグビー界最古豪の慶大は、夏合宿の只中。2次合宿の滞在先にて、2年生の司令塔候補が思いを明かす。
 金沢篤ヘッドコーチ(HC)就任初年度の昨季は、所属の関東大学対抗戦Aで8チーム中5位と苦しんだ。もっとも体制が継続される今季は、「(1年間をかけて)アタックの落とし込みはできている」と指揮官。5、6月の関東大学春季大会グループBを4勝1敗で終えた。3試合で背番号10をつけた古田は、こう語っている。
「ケイオーが一番のこだわりをもってやるのはディフェンスですけど、今年は全員がより意図を持ってアタックできるようになったと思います」
 身長176センチ、体重84キロのSO。左足のキックを利した試合運びで、付属の慶応高でも存在感を発揮。もともと大学では医学部へ進んでラグビーはしないつもりだったが、高校最後の神奈川県大会で桐蔭学園高の連覇を9で止めたあたりから考えが変わった。
 大阪・近鉄花園ラグビー場(当時名称)であった全国高校ラグビー大会での活躍ぶりから、高校日本代表に名を連ねる。そこで改めて「すごい、悩んだ」という。
「高校日本代表から他の大学へ行った皆とまたやりたい、と」
 激動のスケジュールを覚悟し、楕円球の世界に止まることとなった。2年になると、学び舎がグラウンド近くの日吉キャンパスから信濃町の慶応病院内の施設へ移る。残り単位の少ない上級生が早朝練習後にひと眠りするのを横目に、電車を乗り継いで授業を受ける。「春は週に1度、休むかどうか」と、十分な練習参加率を保っている。
 苦い記憶がある。2015年元旦の全国高校大会3回戦で、準優勝チームとなる奈良・御所実高と対戦。後半終了間際に勝ち越したかと思いきや、ロスタイムに再逆転を許した。14−19で屈した。
 その日、決勝トライを決めたWTBで副将だった竹山晃暉、主将だったSHの吉川浩貴、大型SOの矢澤蒼、LOを務めた菅原貴人は皆、帝京大へ進んだ。大学選手権の連覇記録を7に伸ばす常勝集団との試合は、当時の慶応高OBにとってのリベンジの場でもある。
「(竹山らとは)その後、実際に会って仲良くなりました」としながら、「いつか、やるぞ」と古田。当時の慶応高の同級生だったLO辻雄康、FB丹治辰碩は、すでに大学でも主戦級を張っている。文武両道を決めたコンダクターは、当時の仲間との絆だって意識する。
「桐蔭に勝って、御所に負けた。それが、自分にとっては大きいように思います。花園、楽しかったです。自信があったので、もっとあのチームで勝ちたかった…。今年は日本一を目指すなかでいっぱい試合に出て、自分の力がどこまで通用するかを示したい」
 8月1〜14日には山梨・山中湖での1次合宿で走った慶大は、2次合宿4日目の17日に帝京大と練習試合を実施(サニアパーク)。19〜31日は北海道・網走での3次合宿でさらに鍛錬し、シーズンを待つ。
(文:向 風見也)

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