国内 2026.10.28

相手が嫌がるプレーをし続ける。帝京大の新星・荒木奨陽がなりたい選手像。

[ 向 風見也 ]
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相手が嫌がるプレーをし続ける。帝京大の新星・荒木奨陽がなりたい選手像。
荒木奨陽[帝京大/SH](筆者撮影)

 目指すのは、ライバルにとっての「嫌なこと」ができる選手だ。

 荒木奨陽。帝京大ラグビー部1年のSHだ。

 フランス代表で主将経験のあるアントワーヌ・デュポン、南アフリカ代表としてワールドカップ2連覇のファフ・デクラークを手本にする。ロールモデルを語る口調は生き生きする。

「強気で、ディフェンスでも大きな相手に思いっきりいきます。ランもうまい。憧れます」

 中部大春日丘高2年時に飛び級で20歳以下日本代表候補となり、大学でも春から主力グループに絡む。秋は2番手層のための大学ジュニア選手権で段階を踏みながら、1軍同士の関東大学対抗戦Aでは10月11日の3戦目で先発デビュー。本拠地で日体大を81-5で下したその一戦で、鋭いうえになめらかな仕掛けを重ねた。

 防御でもアピールした。相手ボールスクラムの際に、立ち位置から逆側のエリアまでを快足を飛ばしてカバーした。デクラークを彷彿とさせるコース取り、とも言えよう。

「その1個前のプレーで自分がミスをしてしまったので、何とか取り返さないと…と思って必死にやりました」と苦笑し、首尾よくプレーできたのは周りのおかげだと口にした。

「緊張はしたんですけど、(戦前は)先輩たちから声かけてもらって充実した1週間に。それで(当日も)楽しくできたと思います」

 身長169センチ、体重70キロ。家族から聞いた名前の由来は、「すごく画数らしくて」。二文字目の太陽の「陽」には、「輝いて生きる」という願いが込められている。

 父が指導員だった名古屋ラグビースクールへ通いだしたのは6歳の頃。当初は無理やり連れてこられた感覚があったものの、いざプレーすれば楽しく、友人も作れた。

 10代の半ばから徐々に本気になった。昭和橋中時代、最初に入ったラグビースクールから愛知県スクール選抜に呼ばれた。おもな練習先が、中部大春日丘高のグラウンドだった。全国高校大会で常連の通称「ハルヒ」を身近に感じ、当時の仲間と門を叩くと決めた。

 高校では、ポジションをそれまで勤めていた司令塔のSOから現在のSHに変えた。デュポンやデクラークを注視したのはその頃からだ。

 高校2年で20歳以下日本代表候補となり、「ラグビーで生きていこう、ラグビーしかないな」と決意して挑んだのが帝京大だ。複数ある志望校のうち、一昨季までに全国優勝13度の名門に絞ったわけはいくつかあるという。コーチ兼スカウトの土橋輝久さんに熱心に誘われたこと、福田大和ら同じ高校の先輩が先に門を叩いていたことなどを挙げる。

 高校3年目の最後に出かけた高校日本代表遠征では、本職と異なるWTBの位置でプレーした。その時ばかりは「複雑な気持ち」を抱いたものの、いまは新たな環境で向上心を保つ。

 上京して初めて知った寮からグラウンドまでの徒歩30分の道のり、入学前に聞いていた以上の苦しさがある「週に2回のランメニュー」と向き合いながら、「4年生がいい文化」を作っているさまに感銘を受ける。

「きついなかでも先輩が絶対にネガティブなことを言わないので、自分もやらなきゃと思えます。(普段は)上級生がずっと雑用をしている。毎日、役割を決めて(クラブハウスなどの)階段、廊下の掃除をしています」

 3年生の西村颯二郎らとの定位置争いに挑む。

「ラン、パス、キックの3個のスキルを、もっと上げていきたいです。いまの9番の颯二郎君は、ひとつひとつのパスの精度が高いので。ランは、負けていないと思うんですけど」

 同部屋は副将でFBの本橋尭也だ。全体トレーニングの後は、その本橋のもと他の1年生部員とともにスキル練習に励む。

「部屋長も尭也君。居心地がいいです。練習でも声をかけてもらっています。(自身が主力の)Aチームに上がり、接する機会が多くなって」

 25日には栃木・足利ガスグラウンドで青学大戦に後半15分より出場。88-0で白星を掴んだ。11月1日は東京・ラグビー場で、早大戦のメンバーに入りたい。将来の日本代表入りが期待されるなか、本人はまず帝京大の主力に定着したいという。

「リザーブで出る機会が多いと思います。与えられた時間で自分がどうフィットして活躍できるか、です。後半から。相手も疲れている。自分の持ち味であるラン、パスを意識して、(向こうの)嫌なことを…嫌なことを…と、頑張っていきたいです」

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