【ラグリパWest】選手をより輝かす。中原正義 [株式会社エーライツ]
中原正義の名は「まさよし」だ。「せいぎ」ももちろん持つ。
こげ茶色の肌、大きな体からは腕っぷしの強さが伝わる。黒く丸い目は笑えば柔らかく下方に沈み込む。松本尚樹に似ている。
松本はプロ野球、千葉ロッテの球団本部長だ。実務的なトップである。野球の見方をたくさん教えてもらった。
2人とも優しい。関わる選手たちを商品とは見ない。彼らにも自分と同じように生活があり、愛すべき家族がいる。
中原はラグビーのエージェントとして、チームと契約選手とのパイプ役になる。エージェントは日本語では「代理人」と訳される。年齢は松本より2つ下の53歳だ。
その業務を説明する。
「情報を得て、選手を紹介します。チームが決まれば長く活躍できるように働きます」
中原はラグビー出身。顔は広い。
喜びが最高潮に達する時がある。
「チームが決まった時ですね」
選手としての生が延びる。ありがたい。引退後はコーチなどで残れるように交渉する。
エージェントになって10年弱だ。
「楽しいですね。契約選手たちはみんな息子みたいな感じがしています」
今はコーチを含め19人の手助けをする。
専属選手の第一号は南橋直哉。AZ-COM丸和に所属する36歳のCTBだ。チームは来季、リーグワンのディビジョン3(三部)に昇格することが決まっている。
中原は南橋が2018-19シーズン前に宗像サニックスに移籍できるように動いた。当時はリーグワンの前、トップリーグだった。
「監督の藤井さんは知り合いでした」
藤井雄一郎は今、静岡BRの監督である。
南橋は帝京大のコーチ時代の選手だった。中原は口利きの報酬を受け取らなかった。
「もういいや、って思いました」
教え子の希望を現実化できた。満足だった。宗像サニックスは4年前に休部した。
南橋以外の専属選手には森勇登や堀米航平らがいる。森は27歳。横浜Eに属し、昨秋、日本代表の欧州遠征に追加招集された。CTBやWTBをこなす。堀米は30歳。BR東京でSOやCTBを任される。
専属選手たちとは関係を密にしている。
「ランチミーティングは月に1回くらいはやっています。彼らにとってはうっとうしいかもしれませんが…」
笑いを交える。
中原が所属するのは芸能事務所の「株式会社エーライツ」である。会社の設立は21年前。トップの代表取締役を妻の麻里子と義妹の瞳の2人がつとめている。本社を都内渋谷区に置き、従業員は100人ほどだ。
麻里子との間には3人の子どもを授かった。 長女の百加(ももか)は成蹊大の3年生だ。ラグビー部のマネージャーをしている。チームは関東対抗戦のBグループ(二部)。名の通った選手だった父と同じ風景を見てみたいのだろう。そこには娘からの愛がある。
長男の義虎は野球を選んだ。日体大野球部の2年生。外野手だ。出身高校の山梨学院では主将をつとめた。義虎の高3時、中原は請われてトレーニングコーチをつとめた。
「どうせ応援に行きますから」
謝礼も交通費すら受け取らなかった。
一番下に中2のくららがいる。中原は家族のためにも奮闘する。その芯にはラグビーがある。競技開始は佐賀工に入学直後だった。
「小城先生が中学校まで誘いに来てくださって、スパイクをいただきました」
小城博は他競技から選手を探していた。中原は柔道初段、砲丸も投げた。
佐賀工では体ができていることもあって1年から正LOになる。全国大会には3度とも出場。3年時は71回大会(1991年度)。3回戦で東農大二に10-24で敗れた。その後、NO8として高校日本代表に選ばれる。カナダ遠征では全5戦に出場した。
佐賀工では不屈の精神が養われる。
「九州大会で優勝したのに、内容が悪い、と。その夜、学校に戻って、走りました」
4人ほどでボールをつなぎ100メートルを走るランパスは往復で1本と数え、80本走った。2時間以上はかかった。
大学は小城の母校でもある日体大に進む。4年時の1995年度は主将につき、対抗戦でチームを優勝させる。これは日体大の最後の優勝になっている。大学選手権は32回大会。8強で敗退する。準優勝する早大に13-25。関東対抗戦では19-18も雪辱された。
東芝府中(現BL東京)ではリーグワンの前身となる全国社会人大会で連覇、続く日本選手権で3連覇する。始まったのは中原が入社した1996年度だった。全国社会人大会は49、50回。日本選手権は34回から36回大会である。監督の向井昭吾がペナルティーからの速攻、「PからGO」を生み出した。
中原はU23日本代表に選ばれる。2004年から4季は福岡のコカ・コーラに籍を置いた。
「地元を盛り上げたい思いがありました」
この時、藤井とつながりができる。コカ・コーラは5年前、廃部した。現役引退後は関東学院大、帝京大、明大でコーチをつとめた。
関東学院大は監督の春口廣と恩師の小城が日体大の同期だったことがある。ただ、在任は半年ほど。部員による大麻事件があったためチームを離れる。帝京大は監督の岩出雅之が高校日本代表時代のコーチだった。帝京大は4年、明治には2年、在籍した。
その間、部員のバス送迎のため、大型免許を取った。その時々で必要な資格を得たり、できることをやった。エージェントになった今は保険などのプロと提携しながら、契約選手のケガや入院時のこと、さらには引退後の資産運用なども考えている。
中原は契約選手をよき方向に導けるように腐心する。その中で常に自分の中に「正義」にも照らし合わせる。
「これからも頑張っていきます」
そこには、ラグビーの「奉仕の精神」も溶け込んでいる。怖いものはない。




