【コラム】ケレビのラックはまるでパス。
浦安D-RocksのCTB、サム・ケレビが走る。ぶちかます。抜く。186㎝、106㎏のワラビーズの重鎮とて人間だから、どこかで捕まりもする。
そのとき。ラックはパスになる。
ぐんと前進、いくらかドライブ。地に上体がつく。もう球は出ている。そんなイメージ。強靭で柔軟。突進に余力を残す才能ならではだ。オーストラリア代表49キャップの実力は自然現象のごときランばかりでなく、被タックルの直後、9番の手に収まる滑らかな球質でわかる。
ラックはパス。この言葉の原典は2015年の屋久島にある。
元日本代表の突貫繊細豪胆技巧の名ロック、小笠原博さんが言った。
「ラックはパスやないか」
初めて接する発想だった。
自分では都立国立高校と早稲田大学のコーチ時代に軽量FWの強みとしての「速いラック」について考えを深めたつもりだった。球の保持者が相手の懐に吸い込まれるように接近、肩の先でちょいと接触、意図的なオフサイドラインをつくり、高速のオーバーおよび超高速のSHのさばきでギャップを突く。けっこう効いた。しかし、それを「パス」と定義するには至らなかった。
あのころ72歳。仲間に「オガ」と呼ばれた迫力満点の人物は、かつて関西社会人のワールドや立命館大学を指導、厳格な鍛練で地力を授けた。一本気ゆえチームを去ることになっても、のちの成績が正しさを示した。しばしばコーチングの成果は努力の時期とずれてもたらされる。
小笠原さんの解説。当時、帝京大学が隆盛を誇った。同じスタイルなら戦力の厚い側が笑う。では、たとえば早稲田が勝つには。ちなみに地上波の公共放送のみで試合を見るため例はおおむね大学ラグビーだった。
「なんでモールとショートパスの研究をしないか。あらかじめ外に立っているやつらが死ぬやないか。駒がないほうが勝つには、まとまるしかない。モールや」
オガ師いわく。「帝京は各ポジションに力のある選手がいるだろう。留学生もな。早稲田にそのクラスは6、7人やろ。モール組んだら、帝京の能力の高いバックス7人が死ぬやんか」。死ぬとは死に体の意味。あのときのたとえはこの両校だったが、現在の高校や大学の戦法構築にも援用は可能だ。
フェイズにあってもモールを築く。もし倒されたらラック。「ポーンとボールが出ればそれがパス」と考える。2022年8月に死去。追悼記事にも書いたが、モールを得点源ではなく戦力の差を埋める方法に用いる発想は鋭い。没後の年月にも色褪せることはない。
そうか。サム・ケレビは、オガ流の表現なら「まず相手を飛ばして立つ」力を身につけているので、ラックはパスの速度となる。そのように継続、展開のさなかのモールへ持ち込む。弘前実業高校野球部ー習志野自衛隊ー近鉄の往時のモンスターが屋久島の自宅で描いたイメージが、フィジー系の世界的ランナーのおかげで輪郭を結んだ。
12月22日。D-Rocksは敵地で三菱重工相模原ダイナボアーズに19-31で敗れた。強い風下の前半を11-9とリードしながら、後半に勢いをなくした。リザーブをFW6・BK2で組んだら、ついてない試合とはそういうもの、ふたりのSOが負傷で続けて退いた。負けは負け。ただし悲観も無用に映った。
試合後のケレビに録音機を突き出した。
「敗戦に学びはあるものです。前半のよさを継続できなかった。(D-Rocksには)よい選手がいて、スタッフもそろい、競争力はある。ディビジョン1にただ参加するのではなく上を狙うつもりです」
あなたのラックはまるでパスだ。唐突なので今回は告げなかった。「おやおや、ラックはラックですよ」と優しく諭されるのがこわかった。
浦安D-Rocksに限らず昇格のシーズンが楽なはずもない。新任HC(ヘッドコーチ)のグレイグ・レイドローは元スコットランド代表のSHである。かの濃紺ジャージィの代表は、歴史的に「持たざる者の創意工夫」で大国や強国に挑んできた。
屋久島の故人の唱えた「同じ戦い方なら駒のそろったほうが勝つ」を大昔から熟知する「伝統国」の名士なのだ。ひとつどうですか。球を動かしながら組んだモールのショートサイドにケレビ、やはり元ワラビーズで73キャップのFBイズラエル・フォラウの両雄が並んで走り込んでは。止められたら例の地面をつたうパスで仕切り直しだ。