「関大に入って、もう一度ラグビーが楽しいと思えました」。立石和馬[関西大/FB]
10月6日。関西大学リーグで今季初のアップセットが起きた。
関西大が近大を31-25で破ったのだ。昨秋の順位は6位と4位である。
背番号15をつけた立石和馬はフル出場を果たす。前半17分にはSO﨑田士人が敵陣ゴールライン付近に上げたハイパントに反応、空中戦を制してトライを挙げた。
佐藤貴志監督が「アタックのキーマン」と評するチームの要だ。
最上級生となり、その存在感はより一層増している。
関西大では1年時からレギュラーを張ってきた。
しかし、高校時代(東福岡)はそれとは無縁だった。同じCTBには寺下功起(明大4年)、平翔太(明大3年)らがいた。
「ラグビーが正直、好きではなかった。試合に出られない日々が続いて、親に何度も辞めたいと相談していました」
3年時は冬の全国大会(花園)の登録メンバー30人にこそ入るも、惨めな思いも味わった。
主力で固めた3回戦以降は出番がなく、試合メンバーの25人にも選ばれなかった。当時はコロナ禍真っ只中だったから、30人以外の部員は会場にも入れていなかった。立石はメンバー外の残りの4人と、ほぼ無人のスタンドで試合を見守るしかなかった。
「めちゃめちゃ複雑な気持ちでした」
不幸は続いた。関西学院大のAO入試で不合格となった。
今でこそ、「最後まで声をかけ続けてくれた」関西大に感謝するも、「あまり楽しくなかったらすぐに辞めてやる、くらいの気持ちでした」。
そんなマイナスな感情がすぐに消えたのは、「もう一度ラグビーを楽しんでいると実感できた」からだ。
関西大の先輩たちが作り出す雰囲気が、自分の肌に合った。
「いつもワイワイしていて、先輩たちにも気を遣わず発言できる環境でした。練習の雰囲気もどこかピリピリしすぎていないというか…。それは少し変えなければいけない部分かもしれないですが(笑)。試合にも出られるようになり、少しずつ力もついて、こんなに楽しいなら続けようかなと」
気持ちに変化が起きれば、再び訪れた逆境はすぐにはね返せた。
入学直後、5月におこなわれた関西春季トーナメントの同志社大戦にリザーブから1軍デビューを果たす。約20分と短い出場時間だったが、大学レベルの高さをそこで思い知らされた。
「何もできませんでした。スキルの差はそこまで感じませんでしたが、明らかにフィジカルに差がありました」
それから、食生活を見直した。つくしヤングラガーズから同じ進路を辿り、同じく1年時から先発出場を重ねたPR宮内慶大に触発され、ウエートにも励んだ。
「体づくりは3か月経たないと変化は起きないと言われていたのですが、意外とすぐに結果が出ました。高校の時は結構、ぽっちゃりしていたのですが、体脂肪を減らして筋肉量を増やすことができて。それから足も速くなって、いつの間にかいろんなポジションができるようになっていました」
1年時は12番で全試合に先発、2年時にはU20日本代表候補によるキャンプにも参加し、秋にはFBでプレーした。3年時は13番やWTBで出場を重ねた。そして今春はリハビリ中だったSO﨑田に代わり、10番を務めた。
「U20日本代表候補に入ったときに自信もついてきて、周りに発言できるようになってからSOやFBもできるようになったんだと思います」
もともとの強みであるランに加え、キック、ハイボール処理でも光る。2年時と、4年時の秋にはゴールキックも担った。
「キックはまったく蹴られないタイプでした。自分でも驚きです。ヒガシの人たちもびっくりしていると思います」
立石の成長とともに、関西大も実力をつけつつある。
1年時から関西リーグ6位、8位、6位と順位こそ大きく変わらないが、上位チームに大敗する試合はもうない。2季前は京産大に99失点していた。
「本気でやれば絶対に負ける相手ではないと去年初めて実感できました。試合前のマインドが以前とは全然違います」
今季から目標も格上げ。それまでは上位3校が出場できる「選手権出場」だったが、今季は「関西リーグ優勝」とした。
「選手権出場を目指している僕たちが、選手権に出て上位を目指しているチームに果たして勝てるのかと。マインドの時点で負けていると考えました」
卒業後はハウスメーカーへの就職が決まっている。
「人生最後のラグビーのつもりです。ラストシーズン、何かを残して引退したいです」
7年ぶりの近大撃破は通過点に過ぎない。1963年以来の関西制覇と2015年以来の全国大学選手権出場を叶えるまで、成長を続ける。