負傷から復活した神戸製鋼ルーキーの西林宏祐 公式戦初出場
2月8日に行われた日本選手権1回戦4試合の中で、関西を本拠地とするのは神戸製鋼コベルコスティーラーズだけだった。ラグリパ関西が、この試合を取り上げないわけにはいかない。慶應義塾大学から12トライを奪った試合では、今季、出場機会の少なかった選手も出場していた。後半には、今季2試合目のCTBトニシオ・バイフ、初の公式戦出場となるNO8西林宏祐も投入されている。ヘッドコーチ代行のニコラス・ホルテンは、「2人とも、チームにいいインパクトを与えてくれた」と、及第点を与えた。
初の公式戦出場となった西林は、同志社大学時代は抜群の突破力でチームのけん引役を果たしていたNO8だ。同志社中学2年で、サッカー部からラグビー部へ転部。同志社高校時代はCTB。同志社大学1年時はWTBとして公式戦に出場した俊足選手でもある。大学2年の春、当時の宮本勝文監督の勧めでNO8に転向した。神戸製鋼入り後は、なかなか出てこないと心配していたファンの皆さんも多いはずだが、実は、シーズン前の昨年7月、練習試合で左足の甲の関節を痛め、長期のリハビリ生活を送っていた。日本選手権の2週間前にようやく復帰を果たし、いきなりチャンスをもらったことになる。「緊張しました。チームの中に入って動きを合わせていないので、自分にできるのかどうか不安でしたが、周りが合わせてくれました。楽しかったけど、思うようにプレーできず、歯がゆかったです」
チームのスタッフによれば、リハビリ中は、ファン対応をするチームブースで献身的に働き、ホームページの試合速報などの手伝いも積極的に買って出ていたそうだ。試合のメンバーに入れないもどかしい時期が長かったが、両親(潔人さん、美久さん)は、ずっと応援に来てくれた。もちろん、初のリザーブ入りを果たしたこの日も瑞穂ラグビー場のメインスタンドにはご両親の姿があった。「もっと、いいプレーを見せたかったです」。
180?、107?というサイズは、トップリーグのFW第三列としては小さい部類に入る。周囲からは、「プロップに転向したら」、「フッカーの方がいいのでは」という声も聞こえるが、本人は第三列でのプレーを希望する。「プレーしていて一番楽しいですから」。ただし、この日は、バイフがいいパスを受けてトライまで走りきったのとは対照的に、いいボールがもらえずに持ち前の突破力は出し切れなかった。
「大学の時は僕にボールが集まってきたのですが、ここではボールは回ってこない。もらいやすい位置がどこなのかもまだ分かっていません。信頼感も薄いのだと思います。確実にゲインを切ってくれる選手にボールが行くのは仕方ありません」。しかし、手をこまねいているつもりはない。「もう何試合かプレーできれば、感覚が分かってくると思います。フィットネスの向上も必要だし、きょうもディフェンスは軽かった。課題は多い。神戸製鋼はディフェンスから入るチームですが、先輩の皆さんも、今季からそのように『変わった』とおっしゃいます。そういう意味では同じスタート位置から始められるので頑張りたいです」
同じくルーキーの山下楽平は、新人賞、最多トライゲッター賞、ベストフィフティーンと、三冠に輝いた。出遅れてしまったが、次のチャンスが得られるまで精進の日々を過ごすしかない。トップリーグでのチャレンジは始まったばかりだ。
■日本選手権1回戦結果
・筑波大学● 7-62 ○サントリーサンゴリアス(前半0-29)
・帝京大学○ 31-25 ●NECグリーンロケッツ(前半17-17)
・慶應義塾大学● 7-76 ○神戸製鋼コベルコスティーラーズ(前半7-28)
・東芝ブレイブルーパス○ 59-12 ●東海大学(前半28-0)
【筆者プロフィール】
村上晃一(むらかみ・こういち) ラグビージャーナリスト。京都府立鴨沂高校→大阪体育大学。現役時代のポジションは、CTB/FB。86年度西日本学生代表として東西対抗に出場。87年 4月ベースボール・マガジン社入社、ラグビーマガジン編集部に勤務。90年6月より97年2月まで同誌編集長。出版局を経て98年6月退社し、フリーラン スの編集者、記者として活動。ラグビーマガジン、ナンバー(文藝春秋)などにラグビーについて寄稿。J SPORTSのラグビー解説も98年より継続中。99年、03年、07年、11年のワールドカップでは現地よりコメンテーターを務めた。著書に、「ラグ ビー愛好日記トークライブ集」(ベースボール・マガジン社)3巻、「仲間を信じて」(岩波ジュニア新書)などがある。BS朝日ラグビーウィークリーにもコ メンテーターとして出演中。