パナソニック・飯島均部長 「チャレンジ精神」
パナソニック ワイルドナイツはトップリーグ・セカンドステージで得失点差で2位通過しました。2季連続3回目のリーグ優勝に向け、今月24日から始まるプレーオフに期待がかかります。
そのチーム所在地は群馬県太田市ですが、マネジメントの中心は本社のある大阪府門真市に近い枚方市にあります。ラグビー部部長の飯島均さんは単身赴任中。実は1964年生まれ、50歳のチーム責任者がパナソニックの強さの源なのです。
この「ラグリパWEST」を主宰している村上晃一さんは言います。
「僕が取材していても、選手は『飯島さんのお蔭です』って口をそろえるんよね」
田中史朗さんや堀江翔太さんらのスーパーラグビー挑戦、山田章仁さんのアメリカンフットボールとの掛け持ちはこの人の理解なくしては生まれませんでした。
3季目となるハイランダーズ加入が決まっている田中さんは笑顔を浮かべます。
「日本の1つの会社に所属している人間が、海外のチームでプレーするのは難しい。でも飯島さんはその道を開いてくれました。僕には感謝しかありません」
飯島さんはその「仕掛け」の理由を説明します。
「ラグビーをもっとメジャーにして、パナソニックに魅力を感じてもらいたい。だから色々と手を打つのです」
今年51歳の飯島さんは三洋電機出身ではありますが、パナソニックの伝説的創業者、松下幸之助さんの口癖、「やってみなはれ」が息づいています。チャレンジ精神ですね。
以前、飯島さんは外国人選手を安い年俸で獲得するため、自らニュージーランド(NZ)に渡りました。北と南の2つの島を車で回り、クラブレベルの選手に直接声をかけました。獲得までには至らなかったけれど、大小の代理人と知り合いになります。その人脈が3年前、ソニー・ビル・ウイリアムズ獲得の呼び水になりました。
「最初はソニー・ビルの代理人の連絡先すら分からなかった。それを以前知り合った別の代理人が教えてくれたのです」
すぐにNZのオークランドに飛びます。入国ゲートで待っていたのは、ワイカトの黒、黄、赤の3色キャップをかぶり、毛玉のついたウインドブレーカーを着た、おおよそ代理人には見えない男でした。
「最初は詐欺かと思いました。でもエージェント詐欺はどんな手口でやるんだろ、と興味がわいてきた。それでついて行ったのです」
コンドミニアムの一室で会話した後、現れたのは本物のソニー・ビルでした。
そもそもの始まりは代理人を通さない無謀な選手補強。それ自体はとん挫しましたが、最終的には世界を代表する助っ人を引っ張ってきました。「思い立ったら即行動」の大切さを飯島さんは教えてくれています。
今年からパナソニック監督になったロビー・ディーンズさんは言います。
「彼は非常な情熱家。ラグビーを愛する素晴らしい人間です。私はいつも正しい理由の下に、正しい判断をします。彼がいなければ私はパナソニックの監督を引き受けなかったかもしれません」
オールブラックスのアシスタントコーチやワラビーズ監督を経験した5歳年上のキウイが寄せる信頼。「本物は本物を知る」ということですね。
FLだった飯島さんは都立府中西高でラグビーを始め、大東文化大に進学。4年生の1986年度には第23回大学選手権で初の大学日本一に輝きました。卒業後は三洋電機に入社。代表の下のレベル、日本選抜に選ばれました。2期7年の監督後、部長に就任。今季5年目を迎えます。
その人間性は大東大時代に磨かれました。
先輩とうどんやハンバーガーを作って、寮内で売ります。大きな理由は稼いでトンガ人留学生のラトゥー(シナリ、NO8、日本代表キャップ32)とナモアさん(ワテソニ、WTB)に美味しいものを食べさせるためでした。
「お世話になったノフォムリさん(タウモエフォラオ、WTB、同キャップ15)から、『あいつらを頼む』と言われたんですよ。私はノフォムリさんから面倒を見てもらいました。だからそのお返しだったのです」
謝恩や義理人情も分かっています。
「うどんなどは人気がなければ先輩と『改良ですな』と言いながら、新商品を作ってました。それはそれで楽かったんですよ」
現実的に利を生み出す才もあります。この辺りにもチャームが潜んでいます。
5年前、堀江さんを介して山田さん獲得に動いた時はチーム内で異論が出ました。
「三宅(敬)、北川(智規)、田邉(淳、現BKコーチ)とバックスリーは盤石なのに、なぜ今、山田を獲る必要があるのか」
飯島さんは説得します。
「盤石ではダメなんです。盤石ということは次に来るのは衰退しかない」
そして東京駅で山田さんと会いました。彼はトレードマークだったドレッドヘアをバッサリと切り落とし、スーツで現れました。
「びっくりしました。『僕にとっては大切な面接です。だからこの格好で来ました』と山田は言いました。『ああ、覚悟がある』と思った。戦うために一番大切なものを山田は持っていたのです。だから会社に掛け合って採用してもらいました」
その後、ジャパンにもなる山田さんの活躍は周知の通りです。
飯島さんはただの「イケイケ、ドンドン」ではありません。
飯島さんはチームの強さを定義します。
「器の大きい人間がどれだけいるかで決まるような気がします。局面、局面での決断が大事なのですが、考えないで決まる簡単な決断は決断じゃない。小さな料簡ではなく、常に大局に立ってチームや試合を見られる人を育てないといけない。ロビーさんには技術だけではなく、そこも期待しています。彼は何があっても動じない人ですから」
ロビーさんは昨季まで公式戦出場のなかった24歳のLO三上匠、CTB百武優雅、28歳のLO谷田部洸太郎さんらを先発起用。そこには経験値をつけさせることによる人格形成があります。そして飯島さんの本質、「挑む姿勢」をロビーさんも共有しています。
飯島さんが監督に再就任した2008年度からトップリーグは2、1、2位。パナソニックに変わり、部長になった2011年度からは3、3、1位。トップ3に入らなかった年度はありません。それはすなわち飯島さんの度量の広さを表わしているのです。
【筆者プロフィール】
鎮 勝也(しずめ・かつや) スポーツライター。1966年生まれ。大阪府吹田市出身。6歳から大阪ラグビースクールでラグビーを始める。大阪府立摂津高校、立命館大学を卒業。在阪スポーツ新聞2社で内勤、外勤記者をつとめ、フリーになる。プロ、アマ野球とラグビーを中心に取材。著書に「花園が燃えた日」(論創社)、「伝説の剛速球投手 君は山口高志を見たか」(講談社)がある。