国内 2026.09.29

帝京大・西村颯二郎、高校時代は控えも失わぬ向上心。

[ 向 風見也 ]
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帝京大・西村颯二郎、高校時代は控えも失わぬ向上心。
9月12日、慶大戦に出場した西村颯二郎[帝京大/SH](撮影:服部有美)

 一昨季に4年連続13度目の大学選手権制覇を果たした帝京大ラグビー部は、この秋も好感触を得る。

 9月27日には東京・秩父宮ラグビー場で、昨季負けた筑波大を48-20で下している。

 加盟する関東大学対抗戦Aで開幕2連勝。12日の秩父宮では、慶大を50-5で破っていた。立て続けに上位候補に快勝した。

 前年度は対抗戦で筑波大に負けるなどして8チーム中4位に終わり、全国の頂点も逃していた。捲土重来を目指す相馬朋和監督は、接点で激しい筑波大を制してこう総括する。

「フィジカルの局面で筑波大さんが素晴らしい圧力をかけてきて、そのひとつひとつの局面で勝ったり負けたりしながらも、主将を筆頭に常に立ち上がってファイトし続けてくれました。この時期にこの質のゲームができたら、(シーズンが佳境に入る)年末までどれだけ成長してくれるのだろうと楽しみになる。それも去年の対抗戦で負けた筑波大さんへ学生が準備できたから。そういう(拮抗した)相手が対抗戦のなかにいることもうれしく思いながら、次に向かっていきたいです」

 PRの森山飛翔主将、FBの本橋尭也副将、NO8のカイサ・ダウナカマカマら4年生がラインブレイクで存在感を示した。他方、主催者選考のプレーヤーオブザマッチに輝いたのは西村颯二郎。今季から主戦級のSHだ。

 身長166センチ、体重67キロ。身軽にして活発。この日は俊足を活かしたカウンターアタック、強靭な味方を活かすためのハイパントでアピールした。先発して72分間プレーしたこの80分間を、集団の一員として前向きに振り返る。

「慶大、筑波大という強度の高い相手(との序盤戦)へ夏合宿から準備してきたことを出せた、いい80分だったなと思います」

 全国の俊英が集う部員100人超の大所帯にあって、「アタッキングマインドと、誰にでもはっきりと言える(指示を出せる)こと」を長所に定位置を確保する。

 不屈の精神で現在の立場を掴む。

「1、2年生の頃は下のカテゴリーでしたが諦めることはなく、全力でやろうと思ってきました」

 活発だった。周りの子どもより背が伸びなかったとしても、「すばしっこさは負けていなかった」。野球、テニスにも親しんだ。

 ラグビーは「半強制的」に始めさせられた。母が高校ラグビーを扱った1980年代のドラマ『スクール☆ウォーズ』のファンだったからだ。それでもどの競技よりも「一番、自由にできる」と感じ、没頭していまに至る。

 最初は兵庫の西宮ラグビー少年団へ加わり、中学からは地域の強豪である芦屋ラグビースクールへ移った。中学2年で各地の名門が競い合う太陽生命カップに出て、「日本のトップレベルで戦うって、こんなに素晴らしいことなんだ」と感動した。ちょうど東大阪市花園ラグビー場での全国高校大会を見ていると、モスグリーンのジャージーが映える東福岡高へ憧れた。越境入学で高みを目指した。

 その先が難しかった。

 集まる面々のレベルの高さを感じた。やがて活躍する自信をつけるようになっても、主力チームに引き上げてはもらえなかった。あとになれば「チームに必要とされる選手にならないといけないなか、チームに合っていないプレーを選んでしまっていた」と反省できるが、当時は悶々した。

 いずれにせよ高校3年の夏の時点で、「A、Bチームの50~60人」が出かける夏合宿に帯同できなかった。

 光り輝くはずだった青春時代に、影が落とされたか。それでも諦めなかったのは、恩人の顔が頭をよぎるからだ。

「悔しい思いばかりしていたのですが、親も、ラグビースクールのコーチも期待してくれている。諦めることは恩を仇で返すことになる。最後までやりきるのが誠意の見せ方だと思っていました」

 勝負の時は最後の秋にあった。クラブ恒例の定期戦である。自身の出身地である兵庫の報徳学園が相手だった。抜擢された西村はその日の奮闘ぶりが認められ、冬の全国大会で念願の1軍入りを果たした。2連覇を目指し、準優勝で終わるまでベンチ入りした。

 卒業後もトップシーンで己を試したかったから、高校の藤田雄一郎監督に帝京大志望の旨を伝えていた。すると藤田と親交のある相馬監督が、真剣にもがく西村の思いを受け取ってくれた。相馬の回想。

「何度か会いに行った時に、彼の練習に向かう姿勢が素晴らしかった。何より、よく喋ります。グラウンドの中でも、外でも」

 繰り返せば、帝京大は選手層が厚い。金の卵を早朝からハードに走らせ、鍛える。

 西村も面食らった。「死ぬほどきつい練習の積み重ね。」と聞いていたセッションの日々に面食らった。高校時代と同じく簡単に1軍入りをさせてもらえぬなか、同じポジションで3学年上にあたる李錦寿(現埼玉パナソニックワイルドナイツ)、上村樹輝(現コベルコ神戸スティーラーズ)らに励まされた。負けん気は失わなかった。

「色んな先輩が優しくラグビーを教えてくれる、成長できる環境でした。なかなか上のチームに上がれないなかでしんどい練習があり、ちょっと質が落ちてしまうことも。そんな時に(上級生が)『お前、ここやぞ』と」

 ここが踏ん張り時だという意味での「ここやぞ」に支えられて迎えた、勝負の3年目。春先から多くのゲームで9番を手にし、卒業後のリーグワン参戦も視野に入れる。相馬が「1、2年生の頃は私に文句ばかり言っていましたけど、それがだんだん成長し、発言もプレーもよくなり、仲間たちも信頼し始めているんじゃないかなと思います」と笑うなか、当の本人はこうほほ笑む。

「自信もあって、ギラギラしていたので、『何で使わへんねん』という思いも多少ありました。そのなかで、多少、よくない態度を取ったかもしれないです。でも、自分にとっての最高のパフォーマンスを出し続けました」

 高校時代にレギュラーになれなくとも、全国トップの大学で躍動できることを証明した。

「日本代表になりたい気持ちはあって、そのためにはひとつずつステップアップしていかないとだめ。まずはこの帝京大で9番のジャージーを着続け、優勝に必要不可欠な選手にならないと」

 今後の目標を聞かれ、常勝集団のプレーメーカーとして言葉を選んでいた。

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