挫折が糧。日本代表・竹内柊平、フランス代表戦登録外も「成長できるチャンス」
この立場に回ったのは久しぶりだった。
ラグビー日本代表で東京サントリーサンゴリアス所属の竹内柊平は、7月18日のフランス代表戦で登録外となった。トップレベルのラグビーシーンでは、週末のゲームに出ないメンバーはゲーム直前にも厳しい練習をして次週に備える。
身長183センチ、体重115キロの28歳は、仲間が東京・国立競技場に立つ前日までに最近のことを振り返った。
「ノンメンバーセッション、死ぬかと思いました! …僕、2年前から、(サンゴリアスや日本代表で)出られる試合に全部、出てきたんです。それが結構、誇らしかったんですけど、今回は平等なセレクションで負けた。悔しいです。ただこの時間は、自分が成長できるチャンスだと思っています。真摯に受け止めて、これをどう次に活かすかが大事です。全てがマイナスではないです」
フランス代表は、竹内が戦いたいチームのひとつだった。2024年に敵地で大敗しており、前所属の浦安D-Rocksを辞めた’25年には同国でのプロ契約を目指したこともある。それでも、これまで自身を重用してきたエディー・ジョーンズヘッドコーチにこのタイミングで課題を指摘された。
7月から参戦したネーションズチャンピオンシップで初陣から右PRとして2戦連続で先発し、機動力を発揮する傍ら、最前列で組むスクラムで注文を出されたのだ。キーワードは「スタビリティ」。重圧下にあっても姿勢を保てるか、厳密にチェックされた。
「安定性、です。(組んだ後、自立できずに)落としてしまったらフィフティー・フィフティーになる(どちらも反則になりうる)。イタリア代表戦、アイルランド代表戦(大会1、2戦目)ではそれがマイボールの判定になっていたから変える必要はないと思っていましたが、『その時、レフリングが(相手側に)偏っていたらどうなる?』という話。…スタビリティは、上げていかないといけないです」
這い上がってきた。宮崎ラグビースクール時代は身体が小さく、同級生で唯一県の選抜チームに入れなかった。進歩のきっかけを掴んだのは、宮崎工高に進んでからだ。当時の監督だった佐藤清文氏に誘われて入ると、一気に背が伸びたことでできるプレーが増えた。
もっとも10代の頃は、「好きなことは誰よりもできましたけど、嫌いなことが全くできなかったです」。己を変える出会いがあったのは、九州共立大へ入ってからのことだ。
佐藤氏に惹かれ、教員免許を取るべく大学のスポーツ学部に指定校推薦で入学していた。当初は始めたばかりの一人暮らしの気楽さ、門を叩いたラグビー部で早々にレギュラーになったことでの安心感もあってか、私生活が緩んだ。1年目の取得単位は「7」。成績表は宮崎の実家にも届いた。
転機は2年目の7月。クラブ恒例の関西遠征で、近大の主力組に現実を思い知らされた。
一緒に試合に出ていた当時副将の中村智弥は、セットプレーからの1次攻撃で突進役を名乗り出た竹内が、向こうのタックルに見事に跳ね返されたのを覚えている。
本人も当時を「全プレーで負けた」「個人競技か? というくらい」と回想する。松本建志監督に「お前のすべてが出た試合だ」と叱られ、退部を検討するほど落ち込んだ。
思いとどまらせたのが、中村だった。コンバート前の竹内と一緒にLOでコンビを組むことが多かった中村は、北九州の「Joyful」や「資さんうどん」で説得を重ねた。
力強くありながら2年目に大けがをした中村は、才能を眠らせているように見える2年生の竹内に自分を重ね合わせていた。監督に注意されるのは期待の表れだと諭し、再び頑張るよう仕向けた。
その対話があったから、「TK」は立ち直った。
覚醒した後のジャパン戦士は、1日5時間という常軌を逸した量のウェイトトレーニングに取り組んだ。メニューや取り組み方はYouTubeの動画をもとに独自に作った。休息や栄養が伴わない長時間の鍛錬は効果が薄いと後になって知るが、目標へがむしゃらに突き進めたのがよかった。
とにかく、もともと「嫌いなことが全くできなかった」という青年が、「嫌い」だったはずのハードワークを厭わなくなった。それが「好きなことに関係がある」のなら避けられないと、近大戦から学んでいた。
「本当はウェイトトレーニングも、ラントレーニングも、嫌いなんですよ。ただ、ラグビーが好きだからやっているだけ。大学の奴とか、勘違いしていました。僕がウェイト好きだって」
松本の教えや中村の姿もあり、自主練習には後輩を誘うことが多かった。雨の日に下級生とランニングをしていたら、ちょうど目の前を通った車に水しぶきをかけられた。それすらやがて訪れる栄光へのプロローグだと言い聞かせ、動きを止めなかった。
最終学年時は主将となり、史上初の大学選手権進出を決めた。卒業後の日本代表入りを視野に、ポジション変更を決断したのもこの時期だ。
いまは競技の第一線から退いている中村が「なんか、すごく感謝されていますけど、自分のほうも彼に感謝しているんです」と語るなか、代表チームで新たな転機を迎える竹内はこう述懐する。
「智弥さんにも僕みたいに頑張れない時期がずっとあって、自分のようになってほしくない、お前には未来があるとずっと言ってくれて。それが、めっちゃ沁みました。お金がないなか、色々とごはんに連れて行っていただいた。しかも、そのやりくりしているお金は奨学金だったんです」
自らが作ってきたサクセスストーリーのほとんどは、「智弥さん」との時間なしにはなしえなかったと竹内は自覚する。何より、挫折をきっかけに浮上する経験ができたのもこの頃からだ。
「3番(右PR)で誰よりも走れるようになり、スクラムは最強…みたいなところを目指したい。その矛盾(した目標)があるなか、トレーニングはしないといけない。ラグビーにすべてを賭けています、という感じです」
25日から日本代表の網走合宿に参加。8月の対オーストラリア代表2連戦をにらむ。
夏の国立に立てなかったことをよい兆しにすべく、改めて奮起する。

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