【ラグリパWest】学監として。小村淳 [IPU・環太平洋大学/学監/ラグビー部監督]
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小村淳(あつし)は55歳で学監になった。
岩波書店の『広辞苑』には記されている。
<学長・校長を補佐し、学務をつかさどる役>
学監は重要なポジションである。
小村はIPU・環太平洋大学のラグビー部の監督だ。今年4月の新年度から学監と兼務する。IPUはInternational Pacific Universityの略。キャンパスは岡山にある。
丸い顔を崩す。黒縁のメガネからは力強さが伝わる。学監就任について語る。
「名誉でうれしいけど、ラグビーや体育会から大学全体のことを考えなきゃいけない」
責任は重い。一方でやりがいはある。
学内では最高レベルの教育経営の会議にも出席するようになった。
「学長が会議を進め、私は副学長の横に座る」
学長は大橋博夫人の節子。大橋はこの大学を含めた教育機関を運営する学校法人『創志学園』のトップ、総長である。
小村には学監としての抱負がある。
「学力など認知能力は学部学科で教えられる。私は非認知能力を教えていきたい」
挙げたのは、あいさつを含めた礼儀作法や諦めない気持ちなどである。
大学の開学は2007年。学部は3つ。経済経営、次世代教育、体育。学生は3000人弱だ。小村の思いはほかにもある。
「東京や大阪で働く子を育てたいよね」
就職の支援をするキャリアセンターと緊密さを保ちながらの試みになる。
都会で働くことはすなわち、大海を知る。経験は大きい。小村自身も北海道から大学で東京に出てきた。IPU・環太平洋の名前も全国に知られる。就職に関しては地元に帰る傾向がある。教員、警察官、消防士など公務員志望が多いこともその理由のひとつだ。
学監がこの大学に置かれるのは2回目。開学時に教授として招かれた山口良治以来だ。山口もラグビー出身。監督として就任6年で伏見工(現・京都工学院)を全国制覇に導いた。1980年度の60回大会だった。
小村は学監につけられた理由を想像する。
「これまでを見てくれたんじゃあないかな」
ラグビー部の監督就任は2018年。以来、精力的に動いてきた。たとえば最近、選手勧誘はオフの5月5日を使って奈良へ。3日後のリカバリーの日には愛媛に行った。
その熱意で開学と同時に創部したこの濃紺ジャージーを大学選手権に初出場させる。指導5年目の59回大会(2022年度)。中国・四国地区からの出場もまた初めてだった。
その59回大会は初戦の2回戦で福岡工業に25-31。初勝利は2回目出場、昨年度の61回大会だ。1回戦で八戸学院に82-17。2回戦は同じ福岡工業に32-39だった。
「九州に勝って、3回戦進出だね」
小村はチーム目標を語る。関西や関東の強豪と大学選手権の本番で対戦したい。
ラグビー指導が認められ学監になった小村は学長室の近くに専用の部屋を得た。
「まだ殺風景なんだけどね」
学監室には真新しい日本代表の紅白ジャージーがつるしてある。
ティエナン・コストリーが贈ってくれた。ニュージーランドからの留学生はここで4年を過ごす。小村が現役時代を過ごした神戸Sに入団し、現在は2季目。192センチ、104キロのバックローは日本代表キャップ6を得た。この大学の出身者として初の代表入りだ。
小村のその眼は柔らかい曲線を描く。
「額に入れて飾るんだ」
教え子の活躍はうれしい。小村もまた日本代表だった。キャップは4。180センチ、96キロの当たりの強いFLだった。初キャップは神戸製鋼に入社初年の1992年、アジア大会決勝だった。香港を37-9で降す。
競技を始めたのは高校から。函館有斗(現・函館大付有斗)だった。明治に進んだのは監督だった北島忠治に引きによる。
「明治に来い」
北見での夏合宿で誘ってもらえた。
明治では1年から正選手。4年時に主将につく。その1991年度の大学選手権は28回大会。19-3で大東文化を破り、頂点に立った。優勝は3年時を除き、3回を数える。神戸製鋼はリーグワンの前身となる社会人大会と日本選手権を4連覇中だった。小村の加入もあり、その数は7まで伸びる。
現役引退は2003年。その後は母校の明治やキヤノン(現・横浜E)などを教える。ヘッドコーチ(監督)だった釜石SWを退団後、大橋に指導を依頼された。学校法人の本部は神戸にあり、神戸製鋼とも近かった。
小村は8年目に入った。大学選手権での優勝がある天理とは4月12日に練習試合をやった。5-122と大差で敗れた。
「天理は今まで、BやCが相手だったけど、初めてA(一軍)を出してくれた」
認められた証拠である。
この春、チームは17人の新入部員を迎え入れ、総計は77人になった。
「小村さん」
部員たちはそう気軽に呼びかけ、楽しそうに話をする。
主将は4年生PRの波平貫太。沖縄の読谷(よみたん)から入学した。
「小村さんは面倒見がめちゃくちゃいいです」
バイクでこけて、右足を骨折した時も、すぐに病院まで駆けつけてくれた。
「学監になっても何も変わりません。何でも相談できます。お父さんのような存在です」
小村は年上、年下にかかわらず、仲間を想う。5学年下の勝野大が5月3日に急逝した。神戸製鋼の後輩で日本代表のCTBだったが、一緒に試合に出たことはない。
「仲はよかったのよ」
車で片道6時間近くをかけ、長野であった告別式に参加している。
その愛情を学監としてこれからはIPU・環太平洋の全学生に注いでゆく。
「大阪や京都や奈良に試合に行って、岡山に帰って来ると、ほっとするんだよね」
この<晴れの国>が8年の間に自分の故郷になった。根差した土地でこれからもますます頼られてゆく。幸せな人生である。