国内 2022.07.25

テストマッチ前。地元高校生、被災地の伝承活動で教訓を語る。

[ 編集部 ]
テストマッチ前。地元高校生、被災地の伝承活動で教訓を語る。
戸澤琉羽さん。落ち着いて、分かりやすく自分の考えを伝える。(撮影/松本かおり)
大瀧沙來さん。2019年W杯のウルグアイ×フィジーの日は、スタジアムにいた。(撮影/松本かおり)
左は活動をサポートする『三陸ひとつなぎ自然学校』代表の伊藤聡さん。(撮影/松本かおり)
被災地の教えを後世へ、全国へ。(撮影/松本かおり)



 青空に深い緑。絶好のラグビー日和、いい雰囲気だった。
 7月24日に釜石鵜住居復興スタジアムでおこなわれた女子日本代表×女子南アフリカ代表は、サクラフィフティーンが接戦(15-6)で勝った試合内容も、会場に流れる空気も素晴らしかった。

 スタジアム周辺には地元商店の出店が並び、試合前のピッチではタグラグビーのイベントもおこなわれた。
 その中のひとつに、『夢団〜未来へつなげるONE TEAM〜』(以下、夢団)の活動もあった。

 スタジアムへ入ってすぐ右に祈念碑がある。刻まれた文字は「あなたも逃げて」。悲劇が二度と起こらぬように、震災の時に得た教訓を発信し続けるものだ。
 その前のスペースで夢団の活動がおこなわれた。

 夢団は、震災の記憶を風化させぬように活動している釜石高校のグループだ。先輩や地域の震災経験者から伝え聞いた話や教訓を、ボランティア活動や伝承活動を通して発信している。

 この日は、3年生の戸澤琉羽(るう)さんと、2年生の大瀧沙來(さら)さんが伝承活動をおこなった。
 興味を持った来場者が立ち止まり、数人のグループができたら話し始める。
 それぞれが活動を通して学んできたことを自分なりに考え、まとめ、2分間のスピーチで伝える。

 戸澤さんも大瀧さんも、震災時は未就学児だった。混乱や非難の記憶は曖昧だ。
 ただ、自宅は津波が届かないところだったけれど、こわい思いをしたのは間違いない。そして被災地で育つ中で、被害の大きさや避難に対する備えをしておくことの重要性を知る。
 自分たちが伝承者となり、教わってきたことを後世に伝える活動に加わる気持ちが湧いた。

 戸澤さんはリーグワンの試合が同スタジアムでおこなわれた時も、来場者の前で話したことがある。
 この日も落ち着いた語り口で、何度も語り部を務めた。

 2分間の話の中で伝えたいことは、事前の準備通りに物事が進まない可能性もある、ということだ。
 高齢者に配慮して、事前の訓練では避難場所を海抜の低めのところに定めていたら、実際の震災時には、その高さを越える津波が押し寄せたという。

 大瀧さんはこの日、初めて語り部として話した。
 最初は用意した文書を読むような感じだったが、繰り返すうちに、すぐに気持ちを込めて話せるようになった。

 釜石小学校の話をした。
 震災当日は短縮授業で児童たちは釣りに行っている者もいたり、それぞれがバラバラに過ごしていたのに、校区の8割が被害にあった同校から犠牲者は出なかった。
 日頃の訓練のお陰で誰一人迷うことなく高台に逃げたからだ。

 日頃からの備えと信頼が大事。大瀧さんは、そう訴えた。
 訓練通りに逃げる。まず、それが大事だ。そして、普段から家族で話し合っておく。有事の際の行動の徹底と集合場所の確認などだ。
「家族のことが心配で家に戻り、犠牲になった方も多かったと聞きました。信頼があれば防げたはずです」
 来場者に訴えた。

 活動を志した理由を、大瀧さんは「伝承が続いた結果、将来に何かがあったとき、一人でも多くの人が助かればいいと思って」と話す。
「震災の時、私は保育園の年長で、何も覚えていないし、何もできなかった。それが悔しくて、この活動を通して役に立ちたいと思いました」

 この日は、遠方からスタジアムを訪れた人たちも少なくなかった。
 サクラフィフティーンの勝利を目撃する前に、地元高校生の伝承活動に耳を傾けた人たちが何人もいた。
 家に戻って試合の興奮と一緒に被災地のそんな活動も伝えたら、被災地の人々の教えと気持ちも広まる。

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