タックルマン石塚武生の青春日記⑬
石塚さんはラグビーノートに、こう、書き綴っている。
〈給与関係の仕事で月1回、必ず帰りが夜中になることがあった。少しばかり練習にも影響が出そうであった。しかし、自分の性格からいって、いくら仕事だからといってからだを休ませるわけにはいかなかった。仕事の様子をみて、何とか少しの時間でも〝今日は練習した〟という気持ちにしておきたかった。
ある日、仕事で夜中になったことがあった。午前2時頃までかかり、さてどうしようかと考えてみた。このまま帰って寝ても、明日も出勤だ。そこでとりあえず、タクシーで二子玉川駅まで帰る。二子玉川駅から寮まで約3キロくらいである。時間は午前2時30分頃。自分はスーツ姿のまま、革靴のまま走り出した。道路には人ひとりもいない。人が見たら、いったいこんな時間に何事かと思われるだろう。
でも、自分は気持ちよく走っている。汗が噴き出してくる。ここまでやらなくても、と思うこともある。でも、まさかと思われることをやっていかなければ人には勝てない。人に勝つためには、いつも真剣にやっているんだという自信しかないと思う〉
石塚さんはまた、ふだんの仕事のことにも触れている。苦悩の日々だったのだろう。
〈どうしても社会人として仕事とラグビーの生活に慣れるのが大変だった。中途半端でラグビーを終わらせたくないので、どうしても練習に熱がこもる。朝、目を覚ますと、気慣れないスーツにネクタイをしめ、出勤カバンを持って営業にでる。
まったく知らない会社に飛び込む。受付で、慣れない口調で訪問の理由を言って、面接を申し出る。アポイントなどとってあるわけがないので、時には門前払いをくらう。こうして、午後5時30分を迎え、練習グラウンドに向かう。
リコーのラグビー部に入って、早稲田ラグビー部でばりばりやってきた自分にとって、ものすごいギャップを感じることがある。例えば、練習の開始時間の不規則な点、練習の中身、意気込み…。いろいろな面で不満を感じた。〉
石塚さんにはどうしても孤高のイメージがつきまとう。ストイックだ。こんなことも書いている。
〈朝は8時30分から仕事が始まる。営業の時は午前9時頃、お客さんのところに出かけていた。しかし、すんなり目的地に向かうことはない。とくいのモーニングサービスである。いろいろと外回りしているうちに、どこのモーニングはボリュームがあり、どこのモーニングはおいしいかがわかってきた。
入社してから、会社の人とどこかに飲みにいったりする機会はまったくと言っていいほどなかった。当然である。月曜以外は練習なのである。唯一オフの月曜日。のんびりする時間であり、1週間の気分転換をする。大切な時間。ひとりでサウナに行って汗を流し、ひとりでちょっと豪華なレストランで食事をして、寮に帰って、せんたくやそうじをするのである。ちょっぴりさびしい気がする。つまらない気もする。でも、すべて、翌日からの練習のためだと思ってガマンする。
時々、誰かにさそってくれないかと思うが、誘ってくれる人などいない。人にそんなスキを与えないでやってきてしまったのである。〉
再び、伊藤さん。ラグビーをラブする先輩は、スティーブ・ジョブズ氏の遺した名言、「Stay Hungry, Stay foolish」という言葉も大事にしている。「ハングリーであれ、愚か者であれ」とよく訳される。でも、違うだろう。「ハングリーであれ、一途であれ」の方がハマる。「迷わず、己の信じた道を進め」といった意味だ。
石塚さんから学んだことは?
「練習に対する姿勢そのものだよ。一途さといえばいいのか。石塚さんは、そのジョブズの言葉を体現していたと思う」
余談ながら。
実は石塚さんはやさしい。先日、早大の1年後輩となる「アニマル」こと、伝説の名ウイング、藤原優さんからこんなエピソードを聞いた。
藤原さんが早大の5年目、秋から、英国の「ハリクインズ」でラグビー留学していたころのことだ。
藤原さんは社会人の石塚さんから月一で手紙が届いていた。リコー入社を勧められていた。健康を気遣う手紙と一緒に必ず、日本円の1万円札も入っていたそうだ。
藤原さんの述懐。
「オレは商社に行きたくて、英語をしゃべれるようにもなりたかった。でも、石塚さんはリコーで一緒にラグビーをやろうと言ってくれていたんだ。石塚さん、薄給の中から、1万円を手紙と一緒に送ってくれていた。おれ、学生だから、金ないじゃん。オレは毎月、感激して泣いていたよ」
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