タックルマン石塚武生の青春日記⑨
1974(昭和49)年1月6日の大学選手権決勝は前年に続き早明対決となった。国立競技場。早大がフランカーは神山、石塚コンビ、バックスには藤原優、南川洋一郎、植山信幸、金指敦彦、堀口孝、明大がプロップは笹田学、ナンバー8境政義主将、バックスには松尾雄治、森重隆、大山文雄と日本代表クラスがずらりと並んでいた。
試合は、早大が29-6で明大に雪辱した。石塚さんは2トライをマークした。ラグビーノートではこう短く、振り返っている。<前年の悔しい思いをチーム全員で見事に晴らした>
キャプテンだった神山さんはこうだ。
「そりゃ、うれしかったよ」
六本木の中華料理屋の『廬山』で開かれた祝勝会には前年度主将の宿沢広朗さんらOBもはせ参じた。大学選手権覇者の銀色の優勝カップに黄金色のビールをどぼどぼつぎ、現役、OBと回し飲みしたそうだ。これぞ、祝杯。
「“やりました。カタキをとりました”って言ってね」
優勝カップにビールをついでもよかったんですか、と聞けば、神山さんはいたずらっぽく笑った。
「さあ。当時は、よかったんだろうね。カップのビールはうまかったよ」
余談をいえば。
神山さんはタックルだけでなく、酒も滅法、強かった。日比野さんの言葉を借りると、「二升酒のカミヤマ」となる。早大OBの間で語り継がれている武勇伝も少なくない。
おそるおそる、聞いてみた。高田馬場の居酒屋から早明戦に行ったって本当ですか?
「ははは。みんな、そういう風にねつ造しちゃうんだから。だって、飲み屋から早明戦に行くわけがないだろう。不謹慎な。早明戦だぞ、早明戦」
それでは神山さん、2升酒って本当ですか? と聞けば、あっさりと言われた。
「ああ、飲んだよ」
一番、飲んだときはどのくらいでしょうか。徳利を何本くらいやっつけましたか?
「大学2年の時かな。田舎の宇都宮に帰って、高校時代(栃木・宇都宮高校)の同期の野球部のやつとふたりで居酒屋に行ったんだ。その時、日本酒をどのくらい飲めるかやってみた。それぞれ同じ量を飲んだ。店のおばちゃんが徳利を数えていてくれて、一合徳利が全部で56本だった。さすがにその時は酔っぱらって、最後はぶっ倒れたよ」
一合徳利が56本ということは、すなわち5升6合である。単純に割ると、ひとり、2升8合ということになる。すごい。
これは好みの表現ではないけれど、ただ“すごい”のだ。
話を石塚さんに戻す。
石塚さんにお酒のエピソードは? と聞けば、神山さんは「ないよ」と言った。
「結局、石塚は酒をあまり飲まなかったんじゃないか。頭の中、100%がラグビーだった。ラグビーを中心に人生が回っていたんだろう」
石塚さんは、酒場で酒を飲む代わりに、グラウンドでタックル練習に明け暮れた。タックルマンはそうやって、タックルが彩る鉄火のラグビー人生を走っていくのである。
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