弱小高校からHonda HEATへ。筑波大卒のWTB山本悠翔は自分の可能性を信じる
この頃から社会人でもラグビーを続けたい思いが強くなった。きっかけは向久保さんのたった一言の声かけからだった。
「向久保さんが他大学との練習試合を見に来ていました。そのとき面識はなかったですが、すれ違ったときに『頑張ってね』と言ってくれたのをすごく覚えていて。自分なんかを見てくれてる人もいるんだなと思えました」
だから山本の中ではホンダ一択だった。ホンダがダメなら一般企業への就職を考えていた。
3年生の終わりに参加したホンダの練習も面接も緊張していたのは、向久保さんの目から見ても明らかだった。「口下手で言いたいことの3割くらいしか話せてなかったと思います(笑)」。ただ確かな意気込みだけは届いていた。
無事にホンダへの加入が決まったが、課題は山積み。3年時はチーム内の競争に勝てず、対抗戦の出場は2試合に留まった。2年時からの課題を克服できずにいたのだ。
「自分の武器であるスピードを生かしきれていなかった。ボールをもらう時のポジショニングやタイミングが悪くて、相手を抜くことができませんでした」
体重は92㌔にまで増えて、すっかり大型ウィンガーになった。パフォーマンスが良い時の爆発力は誰もが目を見張る。ただその再現度が低かった。
そうした課題を抱えたまま、4年時はNO8へのコンバートを打診される。その要求を呑んだのは、決して課題から目を背けたわけではない。
「高校からラグビーを始めて、何も知らない状態でBK3をしていた。1年時からバックローの転向を勧められていたこともあり、自分の可能性を信じてみたかった」
結果として出場できたのは1試合。立大戦で途中出場するも、まもなく腰痛に悩まされた。
「NO8に挑戦できたことは良かったです。知らないのことの連続でしたし、苦手だったラック後の球出しなど、BK3でも必要なブレイクダウン周りのスキルを改善できた」
腰の痛みはいろんな筋肉の質の悪さが原因だった。筑波大附属病院の先生から、走る時に下腹部と臀部に力が入っていないことも指摘された。「自分の体を知らな過ぎました」。
大学最後の年に活躍できなかったのは悔しいけど、ケガは自分を変えるきっかけをくれたと思ってる。
「そのおかげで伸びしろをたくさん見つけることができたので、いまは前向きに過ごせています」
1年生の時に自分を飛躍させてくれたように、今回のケガも自分の可能性を切り開くチャンスと信じて疑わない。
次なるステージで桜咲くことを自分自身が1番期待している。