【ラグリパWest】チームを受け継ぐ者として。枝吉巨樹監督[佐賀工]
小城は日体大OB。保健・体育教員として佐賀農から佐賀工に転任する。1946年創部のチームで66回大会(1986年度)から86回大会まで21大会に渡って監督をつとめた。
中学ラグビーがほぼなかった地域で、小城は野球、陸上、バレーボールなど他競技の選手をスカウトしてきて育て上げた。
ハイライトは準優勝した80回大会(2000年度)。伏見工(現京都工学院)に3−21で敗れるが、「サコー」の名を全国に知らしめた。チームの全国大会成績は準優勝と4強が1回ずつ、8強11回を誇る。
小城は86回大会以降、管理職(教頭)になり、現場を一時離れる。定年退職した後は総監督となりチームを見守り続けている。
「先生は今でも毎日練習に顔を出してくれます。来られない日は携帯に連絡があります。自分からもします。あいつ、今日は調子よかったね、とか、元気がなかったね、とかそんな話をしています」
枝吉は小城をひと言で評する。
「パッション。あれだけ情熱を持った人物を先生以外には知りません」
県内における佐賀工の強さは圧倒的だ。全国大会予選の参加は鳥栖工のみ。決勝のスコアは209−0。記録的な大勝をわかっていながら、佐賀工は小城以来の慣例によりベストメンバーで臨む。
「先生の教えは、常に全力を出す、ということです。相手に1本たりとも触れさせない、隙を作らない。それでも、相手が悔し涙を流しながら、向かってくるなら、そこにリスペクトがあるんだ、という教えなのです」
鳥栖工と流経大柏の先発はケガなどで3人が代わっただけだった。
佐賀は肥前藩だった江戸時代、武士の心得を書いた『葉隠』を生む。その風土らしい対戦相手への向き合い方がある。
枝吉の監督歴は通算9年。OB部長でPR出身の同級生、仁位岳寛(にい・たけひろ)と時折立場を入れ替えながらやってきた。
新チームになれば10年目。監督としての目標は常に変わることはない。
「日本一を獲りたいです」
小城が監督として果たせなかった夢を、そば近くにいる教え子として実現させたい。
「恩師は生涯、恩師ですから」
令和2年度。小城を仰ぎ見ながら、枝吉のチャレンジが再び始まる。