【ラグリパWest】プロ野球から考える。
山田正雄さんも佐野さんと同じスカウト顧問だ。所属は北海道日本ハムファイターズ。今年9月で75歳を迎える。以前はドラフトやトレードなどチーム編成全般に責任を持つGMだった。ダルビッシュ有、中田翔、大谷翔平らの獲得に関わった。今の日本ハムの根幹を作ったといっていい。
15年ほど前、山田さんと島根の球場で会った。他球団のスカウトはいなかった。目当てはある高校のエース。一緒に投球を見た。降板して、山田さんは帰り支度を始めた。ところが出口に行かず、ベンチに向かう。
「顔を見て帰ろうと思ってね」
プロ野球にそこは関係ないのではないか、という疑問をぶつけた。即答された。
「いや、人間は顔に出るんですよ」
山田さんは球団で売り出すためにジャニーズ系を探していた訳ではない。きりっとした男らしさを求めていた。顔つきも判断要素のひとつだった。
後日、あえて質問したことがある。
指名しておいたらよかった、と思う顔立ちの選手はいませんでしたか?
「井端君ですね」
井端弘和さんは主に中日ドラゴンズの遊撃手としてならした。現役18年で安打は1912本。名球会入りまであと88本だった。
「自分はどこを見ていたんだろうね。彼のプレーは何回も見ていたはずなのに」
井端さんは堀越から亜大に進んだ。所属する東都は東京六大学と並ぶ学生最高峰のリーグ。視察は重ねたつもりだった。
井端さんは1997年のドラフト5位で入団した。全体では50番目。期待値は低かった。見逃しは不名誉なことではない。
ドラフトの後、山田さんはどこかの球場で井端さんを見た。その時、驚いた。
「すごくいい顔をしていたんだよね。これからひと合戦をするような感じでした」
闘志が、その細い目にみなぎっていた。
井端さんとサンウルブズのフォワードコーチの大久保直弥さんは同級生である。同じ川崎市の出身。小学校同士で野球の対抗戦があり、大久保さんは大師の一員として、井端さんのいる川中島と対戦した。
「モノが違いました。ああいう人間がプロに行くんだろうな、と思いましたよ」
大久保さんは中学までで野球をやめ、法政二ではバレーボールに移った。法大ではラグビーを選ぶ。大学選手権優勝3度の名門で、わずか2年でレギュラーを獲った。そして、日本代表になる。バックローでキャップは23。所属したサントリーでは監督もつとめた。
井端さんは170センチほどの身長を、大久保さんは初心者を言い訳にすることなく、そこからたたき上げた。2人とも試合に出るため、監督の望みを具現化したはずである。
大久保さんはよく光る丸い眼を持つ。今でも野性味が伝わってくる。櫛風沐雨(しっぷうもくう)をくぐり抜けると人は甘さが抜け落ちる。いい顔になる。佐野さんも山田さんももちろんそうである。