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【村上晃一の楕円球ダイアリー #13】山口良治の教え子の想い。そして、良き大人に出会う大切さについて

2026.09.24

撮影:BBM

 京都市立伏見工業高校(現・京都工学院高)ラグビー部の監督、総監督として長くチームを率いた山口良治さんが、今年5月に亡くなった。

 本コラムの第11回では、筆者自身の思い出について触れたが、9月26日発売のラグビーマガジン11月号からは、山口先生の追悼連載(全3回)が始まった。
 その第1回は、山口先生の後継者として伏見工業高校ラグビー部を率い、恩師と同じ2度の全国制覇を成し遂げた高﨑利明先生に話をうかがった。

 高﨑先生は伏見工業高校のスクラムハーフ(SH)を務め、チーム史上初の高校日本一メンバーとなった。平尾誠二さんとハーフ団を組み、フィールド上のリーダーとしてチームを牽引した。

 山口先生の勧めで日本体育大学に進学したが、卒業後すぐには母校へ戻らなかった。
「コーチではなく、教育者になりたかったのです」

 多感な中学生と向き合い、道を踏み外しそうになる生徒を救うことに情熱を燃やした。
 伏見工業高校への異動が決まった際も、いったんは断ったという。

 高校でラグビーができている子は幸せだ。その前段階で悩み苦しんでいる子どもがいる。一人でも多くの子を救いたかったのだ。

 人事異動は決定事項である。山口先生と同じ体育教官室で長い時間を共にすることになった。

 恩師の教育者としての姿勢から学ぶことは多く、その限りない愛情に圧倒された。自分にできることを考え、違った指導者像を探った。

 もちろん、ぶつかることもあった。辛い時間もあった。それでも高﨑先生は、山口先生に心から感謝している。

 20歳も下の若者に本気で向き合ってくれる大人が、どれほどいるだろうか。
 高﨑先生もまた、生徒一人ひとりに真正面から向き合い、同じように愛情を注いだ。その姿勢が、2度の全国制覇へとつながった。

 教育者としての晩年は、合併して名前を変えて移転した母校の副校長を務め、定時制のみとなった伏見工業高校の校長として、2023年度末の閉校まで任期をまっとうした。

 山口先生への高﨑先生の想いは本誌で読んでいただくとして、ここに書き添えたいのは「良き大人に出会うことの大切さ」である。

 高﨑先生は山口良治という熱血漢の指導者に出会ったことで、高校日本一のメンバーとなり、教育者としての道を歩んだ。人生が大きく変わったのだ。

 筆者は現在、ラグビーキッズというラグビースクールの情報サイトで、スクールのコーチや運営責任者の方々にインタビューを続けている。
 すでに160名を超える皆さんに話を聞かせてもらったが、取材のたびに胸を打たれるのは、スクールの指導者が持つラグビーへの純粋な愛である。

 多くの指導者がラグビーを通して子どもたちに成長してほしいと願い、粘り強く向き合っている。
 愛情の伝え方はさまざまだ。厳しく接する人もいれば、とことん優しい人もいる。

 筆者はラグビーというスポーツには、人を育てる要素がたくさん含まれていると思っている。ラグビー憲章の「品位、情熱、結束、規律、尊重」を大切にしているところも好きだ。

 だからこそ、ずっとラグビーに携わっているし、子どもたちにも一度はラグビーと接してほしいと願っている。

 もう一つ、ラグビースクールを勧めたい理由がある。そこには、純粋にラグビーを愛する大人がいるということだ。

 多くの指導者が無報酬で子どもたちに向き合い、土曜・日曜だけでなく、平日の練習にも時間を割いている。
「子どもたちの成長を見るのが楽しいのです」

 ほとんどの指導者のモチベーションは子どもたちの成長だ。親でもなく、学校の先生でもない、ただただラグビーを愛する大人と接することは、子どもたちの心に小さな灯をともすはずだ。

 もし、熱中できるものが見つけられない子がいたら、ラグビースクールやクラブチームの門を叩いてほしい。
 学校にラグビー部があるなら、少し覗いてみてほしい。

 そこには、きっと温かく迎えてくれる大人がいるはずだから。

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