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【コラム】フランキーさんとの出会い。オーストラリア留学、いいぞ。

2025.05.21

阿部川祐(あべかわ ゆう)、通称 “フランキー” さん。オーストラリアには1999年から在住

  今年の2月から約2か月間、私はオーストラリアでコーチング留学をしていた。
 東部ゴールドコーストを拠点とするボンド大学ラグビークラブ、その女子チームにアシスタントコーチとして加入した。

 この留学が実現した経緯やコーチとしての日々の記録は『Just RUGBY』にて連載させてもらっている。
 “Feel in OZ”のタイトルは、前ラグビーマガジン編集長で現Just RUGBY編集長・田村一博さんが付けてくれた。

 渡豪初日、ある人と落ち合う予定だった。

 指定されたピックアップ場所で待っていると、一台の車が到着した。降りてきたのは、立派な髭を貯えた文字通りの巨漢だった。

「よく現地の人に間違えられるんです〜」

 まったく見かけによらず、チャーミングな声には拍子抜けしてしまった。

 阿部川祐(あべかわ ゆう)、通称 “フランキー”さんはゴールドコーストに来て27年目を迎える。

 オーストラリアへの留学プログラム「ゴールドコーストラグビーツアーズ」を展開しながら、現地の取材コーディネートやカメラ撮影も担う。
 サンウルブズがスーパーラグビーに参戦していた時代は、日本メディアとの間に立って取材のコーディネーターを務めた。特に五郎丸歩さんがレッズに所属していた時期は、試合後に毎回インタビュー、時には取材の通訳も買って出た。

 留学サポートはラグビーのみならず、BMX(自転車競技)やスケートボード、大学の研修プログラムなど幅広い。
 私の場合は、ホームステイや自転車の手配など生活面でのサポートをしてもらった。
 
 愛知県の岡崎市で育ったフランキーさんは、小学校4年生からバスケットボール少年だった。
 高校でも続けようとバスケ部の見学に行くと、全員が坊主にしなければならないオキテがある厳しい組織だった。少し気後れしたのを見かねた友人に誘われ、ラグビー部の見学に行った。監督が身体の大きさを褒めてくれたのが嬉しかった。

 プロップ人材の確保は、新入部員の勧誘において最優先事項だ。
 先輩たちは暖かく迎え入れてくれ、からかわれていた自分の身体が仲間のために役立っている実感があった。

 どれだけぶつかっても怒られない。どんどんラグビーが好きになった。

 当時、週末だけグラウンドに来て指導してくれる「謎のおじさん」がいた。
 その人に教わると、魔法にかかったようにみんなが上手くなるという、生徒の間では不思議な存在だった。

 2015年のワールドカップ。当時の友人伝いに、それは豊田自動織機の監督を務めていた田村誠さん、あの田村優の父だったと知る。

現役時代のフランキーさん。ポジションは3番

 3年生になって進路を決めようと、先輩たちに話を聞きに行った。
 すると、大学ラグビー部の厳しい上下関係で疲弊している様子を目の当たりにした。心から楽しそうにラグビーをしていた面影はなかった。なんとなく、大学でラグビーをするのが怖くなった。

 進路は一向に決まらなかったが、転機は予兆もなく訪れた。

「オーストラリアはどうだ?」

 フランキーさんの状況を人づてに聞いた英語教諭が声をかけてくれた。

「恥ずかしい話、アメリカとイギリスしか英語を喋らないと思っていたんです。オーストラリアの存在も曖昧でした。でもちゃんと調べてみたら、ラグビーできる、英語も喋る、天気も良い。その先生が現地にある語学学校の校長とお知り合いで、すぐに話をつけてくれました」

 当時18歳。独りでオーストラリアに渡った。
 右も左もわからなかったが、地域のラグビークラブに入ったことで、チームメイトが面倒を見てくれた。

 年齢による上下関係はなく、すべてがフラットな環境は居心地が良かった。
 仕事も、住居も、ラグビーを通じて繋がった仲間たちがすべて助けてくれた。

 フランキーと名乗り始めたのもこの頃。ある試合でアキレス腱断裂の大ケガを負い、救急車に担ぎ込まれた。身元証明のため、救急隊員に名前を聞かれる。

“What is your name?”(あなたの名前は何ですか?)

“I’m Yu (you)”(私はあなたです)

“?”

 こんな会話が延々と続き、救急隊員に呆れられた。

「名前の祐とyou(ユー)の発音が同じで、会話がまったく進まなくて。ケガの痛みで気がおかしくなっていると思われて、鎮痛剤のガスを散々吸わされました。そんなことからチームメイトたちの勧めで、フランクという前年までチームにいた選手の愛称 “フランキー” を受け継ぐことになって。『なんかフランクの面影もあるし、お前はもうフランキーでいいだろ!』と(笑)」

 当時は大学院に進学すると永住権が取れた。語学学校から編入したグリフィス大学からサザン・クロス大学院へ進学し、会計学を専攻。この頃から、日本の知り合いの依頼を受けて、留学サポートをおこなっている。

 過去の自分と同じように、進路で迷っていたり、日本特有の慣習がどこか合わなかったり。そんな人の助けになれたらと、長年サポートを進めてきた。

「ゴールドコーストは年中気候も暖かくて、すぐ近くに海があります。それだけで気分も上向きになりますし、別の世界を知って比較対象を持つだけで、視野が広がると思います」

 私の場合は、さまざまなクラブのジムセッションを見学するために、自転車の走行距離が1日40キロを超える日も少なくなかった。
 フランキーさんはそれを見越して、タイヤが丈夫なマウンテンバイクを手配してくれた。

 また、当初は別のルートでホームステイを予定していたが、直前でステイ先のキャンセルに遭った。
 ドタキャンという緊急事態でフランキーさんが用意してくれたホストファミリーには大変助けられ、生活のありがたみ以上に一生の繋がりができた。今でもたまに、チャットでメッセージを送ってくれる。

 私と同時期には、バスケットボールチームのトレーナーとして渡豪した同期がいた。
 彼の場合は、チームには治療用のベッドがなく、フランキーさんにお願いすると翌日には持ってきてくれたという。現地サポートという響き以上に、動きが早かったのが印象的だった。

 フランキーさんが留学生と接する中で大切にしているのは、意外にも「相手を助けすぎない」ことだ。

「とにかく自分からコミュニケーションを取っていかないと、向こうは喋りかけてもきません。『海外の人はフレンドリーと聞いていたけど、誰も喋ってくれない…』と言いますが、それは向こうも同じ。『はじめまして』の壁をこちらから取っ払わないと、何も始まりません。

 もちろん留学生の年代にもよりますが、自分があまりに介入すると成長を妨げてしまうので、線引きを持つようにしています。例えば語学学校に行くときも、わざと筆箱を忘れて行ったら『ペン貸して』ってコミュニケーションが取れますよね。もし余裕があるんだったら『お礼にランチ奢るよ』とか。コミュニケーションを取りにいくのは、生きていく上で重要なスキルだと思います」

 今年の夏、7〜8月には新たな留学プログラムを開始する。
 力を入れたのは、ケガ防止や走り方に特化したトレーニングだ。新たに外部スタッフとして提携を結んだ甲谷洋祐さん(ボンド大ラグビークラブS&Cコーチ)のセッションが加わった。

 甲谷さんはかつてバレーボール女子日本代表のトレーナー、ストレングスコーチを務め、五輪には2回帯同。うち2012年のロンドンで、チームは銅メダルを獲得した。
 現在は、ボンド大のラグビークラブでは男女、今年からは女子ネットボールクラブも指導している。

 長く女子チームを指導する中で着目してきたのは、女性アスリートにおける膝の前十字靭帯のケガだ。
 女性は男性に比べて骨盤が横に広く、筋肉や筋をコントロールできないと膝に負担がかかり、ケガに繋がりやすいという。

 バレーボール女子日本代表のスタッフを務めていた期間も、膝のケガを未然に防ぐことは重要なファクターのひとつだった。
 実際にネットボールクラブへの就任時も、チームの課題として同様のオーダーがあったという。

 ラグビーでは、より激しい方向転換が求められる。
 オフシーズンには、ヘッドコーチと甲谷さんで選手をピックアップし、走り方や方向転換のセッションを実施していた。

 私が現地でパフォーマンスが高いと感じた選手の多くは、そのセッションの受講者だった。
 中にはレッズでのプレー経験がある選手もいた。素人目に見ても、そのしなやかな走り方は周囲と大きな差があった。

 フランキーさんとしても、特に日本でプレーする女子ラグビー選手にチャレンジしてほしい気持ちが強い。

「日本では女子ラグビー部やチームの新設が相次いでいると聞きます。せっかくラグビーを始めたのに、ケガで長期離脱…。これほどもったいないことはありません。現地のラグビーを体感して視野を広げてもらうのと同時に、ケガを未然に防ぐためのヒントを持ち帰ってもらいたいです」

今年の1月には母の道子(みちこ)さんがオーストラリアに。久々に親子の時間を過ごした
写真右端が甲谷さん。ボンドのウィメンズチームはクイーンズランド州チャンピオンとして3連覇中
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