「プレッシャー!!」
気迫あふれる闘志で、誰よりも大きな声で、ベンチから選手を鼓舞するケビン・オアー ヘッドコーチ――。
一度でも車いすラグビーの日本代表戦を観たことがある人には、おなじみの光景だ。
2017年から6年間にわたり日本代表を率いたオアー氏は、意志を貫く情熱家。
そのパッションの源は家族にあると、オアー氏は語る。
「私は幼いころから障がい者として育ち、常に戦って生きてきました。小さい町に生まれ、町で障がい者は自分ひとり、自分と同じ障がいのある人に会ったことがありませんでした。その中で『最高の自分になろう』と常に戦い、最高の自分を目指すことで、『障がい』ではなく『人』に注目してもらって、障がいがあっても人として同じだということを世界に証明したいと思っていました。そういう考えの根本は家族にあります。自分がコーチをするうえでも同じような考え方を持っています。スポーツを通して、障がい者を見る目に変化を与え、人々の考え方や価値観を変えることができればと考えています」
指導者として30年のキャリアを持つオアー氏が、一番の喜びとするのは「Improvement(上達、成長)」。
車いすラグビー日本代表のヘッドコーチ就任にあたり、東京パラリンピックでの金メダル獲得を最大の使命とされたが、同じくらいの熱量で精力的に取り組んだのが、選手の発掘と育成だった。就任当初から、2024年のパリ、2028年のロス・パラリンピックを見据えた強化プランを押し進めてきた。
その中で訪れたのが、今や日本代表に欠かせない存在となった橋本勝也(21歳)との出会いだった。
「自分には人を見る目がある」と得意げに語るオアー氏は、この出会いを「自分の人生に影響を与えてくれた贈り物(Gift)」だという。
橋本は2002年5月、福島に生まれ、先天性の障がいにより子どもの頃から車いすで育った。
橋本とオアー氏が初めて会ったのは2017年4月。福島県で障がい者スポーツ指導員として活動していた日本代表チームの通訳、二階堂のり子さんが2人を引き合わせた。
福島で行われた代表合宿を見学しにきた橋本は、当時14歳。運動経験はほとんどなく、コートの端で静かに見ている姿を、オアー氏は「恥ずかしがり屋の少年」と記憶している。
アメリカの小さな町で、車いすで育った少年時代の自分に、橋本が重なったのかもしれない。
オアー氏はボールを投げ、橋本がそのボールを返し、キャッチボールが始まった。恥ずかしがっていた少年の背筋が伸び、ボールを投げて遊んでいるのを見て「この子はいい選手になる、世界でも最高の選手になる可能性を秘めていると感じた」と懐かしそうに目を細める。
そして、翌月に千葉で開催される車いすラグビーの国際大会(ジャパンパラ競技大会)を観においで、と橋本を招待した。
会場で橋本が目にしたのは、世界No.1プレーヤーと呼ばれるオーストラリアのライリー・バットやクリス・ボンドといった世界のトッププレーヤーだった。自分と同じような障がいのある選手がこんなに激しい競技をやっている。
オアー氏は、橋本が「光を見た(See the light)」と直感した。
そうして、現在に至る“師弟物語”が始まった。
「カツヤは“スーパースター”になる人材だ」
誰よりも橋本の可能性を信じていたのは、オアー氏だった。
世界を肌で感じて成長してもらいたいと、競技を始めて1年程の橋本を強化指定選手に選出し、その数か月後に行われた2018年のカナダカップと世界選手権では12人の代表メンバーに入れた。
しかし、橋本は当時まだ高校生。学業もあり、世界選手権後は、経験を積ませたいと考えた海外での国際大会に参加できないなど、プラン通りにはいかなかった。はやる気持ちはあったが、オアー氏は「これは焦るなという意味だ。カツヤにはプレッシャーを与えず育てていこう」と自分に言い聞かせた。
橋本に限らず、オアー氏が選手に言い続けてきたのは「ラグビーを楽しめ」、「ラグビーを愛してほしい」ということだった。どれだけのチャレンジをして、どれだけ夢中になれるか。それがラグビーを楽しむことであり、故に「選手たちにはプレッシャーをかけたくない」と大会の度に話していた。
だからこそ、「自分たちのラグビーができた」と選手たちが口々に言う試合では、勝負を楽しみ、ラグビーを楽しんでいるのが、見ている者にまで伝わってきたのだ。
そんな「楽しむ」気持ちが、橋本の成長を支えた。
2018年の世界選手権が終わった頃には、「この競技に出会えたことで、この先の人生も変わっていくと思う」と自分の明るい未来を描いた。
もちろん、悔しい思いも何度もした。試合に敗れ、人目をはばかることなく号泣し、「もっと強くなってやる」と心に火がついた。悔しさが、成長の原動力となった。
橋本は、「世界一のプレーヤーになる!」という確固たる目標を抱いた。
今では海外の選手やコーチからも名前が挙がるほど、日本のキープレーヤーとして成長し、その目標への階段を着実に上っている。
「小さい町出身の少年、スポーツも未経験だった少年が、車いすラグビーというスポーツに出会い、スポーツに対して何の夢もなかった子に、日本代表の一員となって金メダルを獲ろうという夢を与えることができました。彼をここまで成長させることができた、そういうプログラムが日本にあることを誇りに思います」
日本代表ヘッドコーチを退任した今、オアー氏は唱える。
「橋本の例のように、スポーツができるかもしれないという人を見つけて、それを育てていくということが大事です。今なお、学校が分けられたり、友人からだったり、それにスポーツでも障がい者が差別を受ける状況があります。そうした状態から、まずはスポーツで差別をなくしたいのです。スポーツには、人の考え方を変える、人に影響を与える力があるのですから」
日本が2大会連続の銅メダルを獲得した東京パラリンピック。
オアー氏は大会前、「車いすラグビーの『勇気』を感じてもらえる機会にしたい」と言葉に力を込めた。
「車いすラグビーを通じて、人間が持つ可能性を見せることができると考えています。どんな状況でも常にベストな状態で戦い続ける、そういう姿勢を見せることで『勇気』を伝えたいです」
オアー氏が車いすラグビーを通して築いた、「誰もが輝ける社会」の礎。
車いすラグビー日本代表はそのパッションを継承し、スポーツの力、スポーツの喜びを体現していく。