フランスでSNCF(以下、フランス国鉄)を利用したことがある人なら、駅のアナウンスの優しい女性の声に聞き覚えがあるのではないだろうか。「マルセイユ行き、10XXX号の列車は、3番ホームから発車いたします」など、発車ホームや、列車の遅れを案内している。
今年のワールドカップ期間中は、この声がフランス代表キャプテンのアントワンヌ・デュポンの声になる。
デュポンは2022年3月からSNCFのアンバサダーを務めている。今大会のオフィシャルスポンサーでもあるSNCFは大会を盛り上げようと、デュポンの声を拝借することにした。
先日、短い休暇の合間にパリのスオペレーションセンターで、放送に使用されるデュポンの声を録音する作業が行われた。
「ボンジュール、アントワンヌ・デュポンです。ラグビーワールドカップ2023フランス大会の期間中、グラウンドで皆さんにお会いする前に駅で皆さんをお迎えすることができて喜んでいます。大会のリズムに合わせて躍動する駅で、選手、サポーター、そして旅行者の皆さんも素晴らしい時間をお過ごしください。W杯を楽しんでください!」
録音されたメッセージの一例だ。
また、フランスの新幹線と呼ばれているTGVの先頭車両もデュポンの姿でラッピングされる。駅構内でデュポンのシルエットをホログラムで映し出す準備も行われているという。
開催地となっているパリ、リヨン、トゥールーズ、ナント、マルセイユ、ニース、リール、ボルドー、サン・テチエンヌなどの駅、またスタッド・ド・フランスに向かうRERのB線とD線で使用予定とのことなので、行かれる方はぜひ耳を傾けてほしい。男性の声で少し照れくさそうに話すアナウンスであれば、ブルーのジャージーの9番で優勝に向けて戦っているアントワンヌ・デュポンだ。
一方、パリのグレバン蝋人形館には、デュポンの蝋人形が元フランス代表SHフレデリック・ミシャラクと並んで、この5月末に登場した。
「とても細かく精密な作業の積み重ねで作られていることがわかった。最初の採寸や型取りのために3時間もかかった。(昨年11月12日の南ア戦で)レッドカードをもらわなければできていなかった(笑)。(完成した人形を前にして)自分が目の前にいるみたいで落ち着かない」とユーモアを交えながら感想を述べたデュポンは、子供の頃は「大きくなったら、フレデリック・ミシャラクになる!」と言っていたというエピソードも披露した。
グラウンド上での活躍と、人柄から発されるポジティブなオーラで、26歳にしてフランスラグビー界の顔となっている。フランスだけでなく世界のラグビーファンがW杯での彼の活躍を見ることを楽しみにしているだろうが、その先のプロジェクトがすでに動き始めている。
デュポンがW杯の翌年のパリオリンピックに参加することを望んでいるという噂は昨年からあったが、最近、本人と所属クラブのトゥールーズ、7人制代表チーム、フランス協会、トップ14の運営団体であるLNRの間で話し合いがもたれ、全員から認められた。
「7人制ラグビーはクラブレベルではまだメジャーではなく発展させる必要があるところだが、アントワンヌ・デュポンがプレーするとなると、ラグビーにとって大きなチャンスだ」と6月に新しくフランス協会会長に就任したフロリアン・グリルは歓迎している。
15人制から7人制へ転向するために、練習も試合もこなさなければならず時間がかかることを本人も理解しており、W杯後、7人制の活動に専念する時間がほしいという希望も出している。
「半年、もしくはまるまる1年、『デュポン無し』のシーズンの準備をしなければならない。26歳でフランスチャンピオンに3度、そしてヨーロッパチャンピオン、シックスネーションズで全勝優勝を成し遂げた。もちろん次のW杯でも優勝することを祈っている。自国開催のオリンピックに参加したいという気持ちも理解できる」と言うのは、トゥールーズのユーゴ・モラ ヘッドコーチ(以下HC)だ。
トップ14の新シーズンは8月19日に開幕し、W杯前に3節を消化。その後、W杯決勝の翌日から再開する予定だ。
多くの代表選手を抱えるトゥールーズでは、来季前半戦は主力がほとんど不在となり苦しいシーズンが予想されるが、それでもクラブは青信号を出してくれた。あとは、クラブが支払っているデュポンの給料をこの期間誰が支払うのかなどを協議して詰めていくだけだ。
「ただ、彼も時には休むということも考えなければならない」とモラHCはデュポンの健康を気遣う。
今週からフランス代表のW杯準備合宿がいよいよ始まった。ずっと夢見てきた時が目の前に迫っている。
休暇のことを考えるのは、また後回しになりそうだ。