7月9日におこなわれる日本×フランスの第2戦テストマッチでフランスは、12試合に渡ってスターティングメンバーとして出場し続けていたFBメルヴィン・ジャミネに代えて、21歳のマックス・スプリングを起用した。
6月19日、来日する数日前にファビアン・ガルチエ率いるバーバリアンズはイングランドとトゥイッケナムで対戦した。
73分、SHノラン・ルガレックがゴールポストの前に落としたキックを拾い、トライしたのがスプリングだった。
スプリングという名前を聞いて、最初はオーストラリア人? 南アフリカ? と思ったが、そうではなかった。
スプリングはフランスのバスク地方の生まれである。彼の父親が1990年代にNZからフランスにプレーしにきたラグビー選手なのだ。その地が気に入り、その地の女性と結婚し定住した。
マオリの血を受け継ぐ父とバスクの家系の母の間に生まれたのがマックスである。父からはハカも教わった。子どもの頃応援していたのはオールブラックスだった。
ただしフランスと対戦する時を除いてだが。
マックスは5歳の時に、父親が指導するスクールでラグビーを始めた。
アニメやプレイステーションには見向きもせず、手には常に楕円球を持ち、家の中でも双子の弟と1日中パスをして遊んだ。
15歳の時にバイヨンヌのエスポワールに入団した。
U16、U18フランス代表に選ばれた。そしてラシン92のエスポワールのコーチの目にとまった。
「18歳の時にラシン92から連絡があった。トップのレベルで成功したかった。ラシン92で通用するかどうかチャレンジしてみようと思った」
2019年の春、ラシン92のエスポワールに入団。2020年10月のトゥールーズ戦でトップ14デビューを果たした。
背番号15をつけて、デュポン、ンタマック、コルビらがいるスター軍団と80分戦った。24-30でチームは敗れたが、「19歳にして憧れの選手と一緒に、憧れの選手が並ぶ相手と対戦できたんだ! この試合は一生忘れられない」と興奮して話す。
しかし、その次にプロの試合に出るチャンスが回ってきたのは1年後(2021-2022シーズン)、元ワラビーズのカートリー・ビールが負傷した時だった。
ようやく続けて試合に出ることができるようになったが、約1か月後右肩を脱臼してしまう。4か月グラウンドを離れたものの3月末に復帰してから再び15番として連戦し、最後尾でラシンのゴールを守り、ボールを持てば果敢に攻め上がる。器用にオフロードパスを出してボールを繋ぐ。
小柄だがハイボールも強い。何よりも生き生きとプレーした。
「プレッシャーは特に感じなかった。経験のある選手が周りにいてくれて、『自分のプレーをしろ』と言ってくれていた」と目をキラキラさせて語る。
ラシン92のロラン・トラヴェールHCは、「ダイヤモンドの原石だ。まだまだ磨かなければならない。まだまだ努力が必要。でも彼はラグビーに生まれてラグビーに生きている」とコメントする。
ラシン92に移籍して2年、13試合に出場しただけでガルチエHC率いるバーバリアンズに選ばれトゥイッケナムで国際試合デビューを果たした。
その後フランス代表の来日メンバーにも入り、7月9日の日本×フランスの第2テストマッチで初キャップを獲得する。
「マックスはラシン92というトップレベルの選手が揃っているクラブで少しずつ段階を上がってきた。彼のプロフィールは魅力的で、体型や左足でキックができるところなど少しブリス・デュランに近い。特に彼が得意とするカウンターアタックは私たちが目指しているプレーの中で重要な要素。また彼の熱気でチームを盛り上げてくれる」とスプリングについてコメントするのは、フランス代表のロラン・ラビット攻撃コーチだ。
「彼はロッカールームに入り、ジャージーを獲得しに行った。ラシン92で試合経験を重ね、良いパフォーマンスを続けた。そしてバーバリアンズ戦でFBとして先発出場し、ビッグゲームをした。(PCR陽性のため)1週遅れてチームに合流したが、練習でのパフォーマンスも良かった」とガルチエHCはブルーの15番のジャージーをスプリングに託した理由を説明している。
「プロになるために故郷を離れた。プロとしてデビューできたからにはとことん味わいたい」と話すスプリング。
たどり着いたフランス代表デビュー戦、いつものように最後列からボールを持ってグラウンドを駆け上がる姿が見ることができるだろうか。
「体は小さいが鋼のメンタル」と言われているフランス代表の新しいFBに注目したい。