ラグビーリパブリック

NO8タンガ[フランス代表/NO8]、2戦連続で先発。父はコンゴでプロレスラー→フランスで牧師。

2022.07.08

186センチ、107キロの25歳。ラシン92所属。(撮影/松本かおり)



 朝、まだ街も家の中も寝静まっている時間にヨアン・タンガ(フランス代表/NO8)はお祈りをする。
「週に2〜3回だけど。最初は自分に課していたが今では自然になった」

彼はキリスト教プロテスタントである。今は亡き父から受け継いだ教えなのだ。タンガの父はコンゴではプロレスラーだった。フランスに移り住み牧師になった。

 タンガが10歳の時、父からピアノを弾くように言われた。毎週日曜日に教会に集う信者のゴスペルの伴奏をするためだ。
 他の子供が外でサッカーをして遊んでいる間、タンガは耳で聞いた音楽をピアノで練習させられた。「教会に行くのは嫌いじゃなかった。ピアノが好きだったから。土曜日も毎週リハーサルに行っていた」
 タンガの生活にはまだラグビーは存在していなかった。

 中学で初めてラグビーを経験した。味をしめた。地域の7人制のクラブに入った。
「チームメイトと比べて、自分がそんなに劣っているとは感じなかった。それで友人と『ラグビー トライアウト』とグーグルで検索してみたらカストルのトライアウトの情報にたどり着いた。その頃カストルがどこにあるのかも知らなかったけどね」

兄の運転でカストルまで行き、フィジカルテストとゲーム形式のテストを受けた。その日のうちに結果は発表された。
「自分の名前がリストにないから不合格だと思ったら、上のカテゴリーのリストを見ていたんだ!」

 こうやってタンガはカストルのエスポワール(アカデミー)に入団した。
 4年目にはプロと練習するようになったが、なかなかトップ14の試合出場チャンスが巡ってこない。当時のカストルのクリストフ・ユリオスHCは、フランス代表NO8のアントニー・ジュロンのようにフィジカルの強い選手を起用した。

 タンガはどちらかと言えば軽量だ。ウエートトレーニングに励んだ。その結果、4年で79キロから107キロと増量する。
 しかし、まだ足りなかった。
 現在は2部リーグも、当時トップ14だったアジャンのテストを受けて移籍した。

 アジャンでは初年度から24試合に出場し、そのうち19試合でスターティングメンバーになった。
 2年後、ラシン92に移籍した。

ラシン92に移籍して3年目の2021-2022シーズン、チームが苦戦する中で一際光る活躍をコンスタントに見せた。
「選手として成熟してきたのだと思う。それから練習の後にUber Eatsでクレープを注文することをやめたんだ! 体重が3キロ落ちて、もっと動けるようになった」

ラシン92でのパフォーマンスが認められ、今年のシックスネーションズ期間中の代表合宿に初めて招集される。しかし、負傷で途中離脱。
 来日前にバーバリアンズに選考されて戦ったイングランド戦で結果を残し、日本行きの切符をつかんだ。

「私たちのチームは40分ほど14人だったにもかかわらず、ヨアン(タンガ)はNO.8のポジションで80分間大変高いレベルの試合をした」
ファビアン・ガルチエHCの評価を得て、日本との第1テストマッチでも起用されて初キャップを得た。

 アタックではチームを前進させ、ディフェンスではタックルを繰り返し(19回)、ラックでの陰の仕事も精力的に行った。
「ヨアン・タンガはバーバリアンズとしてイングランドと対戦した時のように、今日もビッグゲームをしてくれた」と、ガルチエHCは試合後、そのパフォーマンスを称えた。

「ファーストキャップを得ることができてとても嬉しい。初めてのフランス代表での試合なので感情を抑えるのが少し難しかった。自分のためだけにプレーするのではなく、幼なじみや家族、そしてフランスのためにプレーするのだから」とタンガは初キャップの喜びと誇りを噛み締める。

記者からは決まり文句のようにワールドカップ(以下、W杯)についての質問が投げかけられる。

「すべての代表候補のフランス人選手と同様、僕にとってもW杯はひとつの目標。でもW杯までまだ1年あり、その前にまずこの遠征をしっかり終えなくてはならない。秋のテストマッチもあり、トップ14も1シーズンあり、まだたくさんのことがあります。まず目の前のことに集中しなければ」としっかり目の前の現実を見る。

「祈ることでポジティブになり、自信を持つことができ、物事を客観的に見ることができる」と言う。

 7月9日におこなわれる日本代表との第2テストマッチでも8番のジャージーを着てピッチに立つ。
 試合前、いつものように静かに祈るタンガの姿が目に浮かぶ。


Exit mobile version