多くの人たちから祝福を受けた。
アーロン・スミスが8月7日のブレディスローカップでニュージーランド代表キャップ100に到達した。
同代表では10人目。SHでは初めてだ。
イーデンパークでのオーストラリア代表戦に先発したスミス。節目の試合では、当該選手が先頭でピッチに入ることが多い。
しかし同日のオールブラックスは、主将を務めたLOサム・ホワイトロックが最初に入った。
そのことについてスミスは、「(自分のことより)チームの方が大事だから」と話した。
「できるだけ普段通りに、と思っていました。私はハカをリードするという、とても大きな名誉を与えられた。それが誇らしかった」
試合には33-25で勝った。フルタイム後には記念のセレモニーがおこなわれた。
記念のキャップが贈られ、駆けつけた家族とともに仲間、ファンから祝福された。
スミスは32歳。1988年にパーマストンノースで生まれた。
地元のフィールディング高校に通い、ファーストフィフティーンに選ばれた初年度はSOでプレーした。当時からハンドリングスキルが高かったという。
ちなみに、100キャップ到達試合で主将を務めたホワイトロック主将は当時のチームメートで、同期だ。
現在サントリーでアシスタントコーチを務めるジェイソン・オハロランは、以前、NZのメディアにこう話している。
同コーチが2007年末、マナワツ協会のアカデミーで働き始めた頃の記憶だ。スミスはまだ、10代だった。
「彼が芝からすばやくボールを弾き出す姿を見て、次のシーズンからマナワツ州代表に引き抜かれると思った。信じられないほどのスキルセットがあった」
横への動きやステップも抜群だった。そして実際、2008年から州代表のジャージーを着た。
2010年にマオリ・オールブラックスに選ばれたスミスは、同代表の指揮を執ったジェイミー・ジョセフが翌年からハイランダーズの監督に就くと同時にチームに加わった。
スーパーラグビーで結果を残すと、2012年6月のアイルランド戦でオールブラックスデビューを果たした。
以来、積み重ねた100キャップのうち92試合は先発。2015年、2019年のワールドカップにも出場している。
2016年には不適切な行動でバッシングを受け、チームからも処分を受けることもあった。しかし、その後はメンタルコーチの指導を受けながら精神的にも成長。自身も、身勝手だった自分が「変われた」と話している。
今年7月のフィジー戦でキャプテンを任されたのも信頼の結果だろう。
本格的なプロとして活動する前には美容師の見習いをしていた。
オールブラックスでもチームメートの散髪を度々してきた。息子・ルカくんの初めての散髪も父がしたそうだ。
小さな体から『ナギー』(Nuggy/ナゲットから)の愛称で親しまれる男は誰からも愛される。9番のジャージーを着て、まだまだキャップを積み重ねそうだ。