ラグビーリパブリック

フランスラグビー徒然。Décembre(12月) 国内ラグビー事情&ドミニシ急逝

2020.12.12

無観客での開催が続くフランスリーグのTOP14(Photo: Getty Images)


 フランスは、10月30日から4週間の予定で始まった2度目のロックダウン中だ。12月14日まで延長されているが、規制は部分的に緩和されている。それに伴い1月まで休校となっていたラグビースクールは、「学校での体育が許されるのに、学外でのスポーツが許可されないのはおかしい」、また「ラグビースクールやアマチュアクラブを支えてくれているのはボランティアの人たちで、彼らが他の活動に従事してしまったら、活動再開が許可されても運営していけなくなってしまう」など、各競技団体からの訴えがあったこと、また子どもの運動不足が懸念されてきたこともあり、11月28日から、コンタクトなしという条件で再開が可能になった。12月15日からはコンタクトを伴う練習も可能になる予定だ。

 一方、大人のアマチュアクラブは、12月15日からコンタクトなしで練習を再開できることになっているが、ロッカールームの使用は禁止されており、「気温が低い屋外で着替えるのが厳しくなる時期、さらに冬はグラウンドも湿っている。ロックダウンが解除されても夜9時以降は外出禁止が続く。大会が1月20日に再開される予定だが、それまでに準備できるか」という不安の声が上がっている。

 現在、フランスの一日の新型コロナウイルス感染者数は1万を超えており、政府が目標としている5千人にはまだ遠く、また第3波が広がる危険を避けたい政府は度々警鐘を鳴らしており、15日のロックダウン解除について悲観的な意見が増えてきている。

 TOP14は第11節を終えたところだ。代表選手もそれぞれのチームに戻り、今週末から始まるヨーロピアン・チャンピオンズカップに向けて盛り上がっていくところではあるが、無観客で試合をしなければならないのは本当に残念なことである。先週のトゥイッケナムのように、イングランドでは人数制限付きでスタジアムに観客を迎えることができるようになった。またフランスでは12月15日から劇場、映画館、美術館の再開が許可される予定でもあり、「屋内施設で観客受け入れが可能であれば、屋外であるスタジアムでも認めてほしい」とクラブチームは政府に働きかけてきたが、こちらも来年1月までは難しいのではないかと見られている。

クリストフ・ドミニシ追悼試合前、レジェンドの顔が印刷されたシャツを着て練習したスタッド・フランセの選手たち(Photo: Getty Images)

 11月24日、フランスラグビー界に激震が走った。元フランス代表WTBクリストフ・ドミニシが亡くなったのだ。ラグビーメディア以外も彼の訃報を伝えた。その週末、代表チームのイタリア戦がおこなわれたスタッド・ド・フランスや、TOP14とPro D2の全ての試合会場で追悼セレモニーがおこなわれた。空っぽのスタジアムで、選手・スタッフが沈痛な表情で黙とうや拍手を捧げた。ドミニシと一緒にプレーしたチームメイトが、コーチとして、選手として、解説として、グラウンドにたくさんいる。「ドミジョサ」「ガルバニシ」と呼ばれるほど代表チームではいつも一緒に行動していたモンペリエHCのグザヴィエ・ガルバジョサの涙が止まらない。

 追悼記事や映像が次々と出てきてフィールドの内外での武勇伝が語られた。
 ドミニシを世界のスターにした1999年ワールドカップ準決勝ニュージーランド戦の3日前、ホテルでガルバジョサと2人でくつろいでいたところに、緊張で興奮しきったLOアブデラティフ・ベナジが入ってきたのを見て、小柄な2人で身長2メートルの大男に飛びかかって「ボコボコにしてやった」と笑いながら話すドミニシ。
 フィールド内だけではなく外でも、何をしでかすかわからないところがあった。

 2007年のワールドカップ自国大会の初戦でアルゼンチンに負けた後、ドミニシが選手全員に声をかけて合宿所の近くにあるバーに飲みに行き、大騒ぎした。「とても楽しかった。あれが僕たちのワールドカップの始まりだった」と元フランス代表のティエリー・デュソトワールは言う。

 ドミニシの周りはいつも笑いであふれていた。現役引退後、スタッド・フランセでBKコーチをしたが、1年で解任された。「コーチは向いていない」と自らも言っていた。不動産業やワインの製造販売もしており、業績は好調だったが、昨年ワールドカップで来日した時に、彼の元コーチであり、友人でもあるフランスラグビー協会のベルナール・ラポルト会長に「ラグビー界に戻りたい」と話していた。

 その後、ワインの買い付けに来たアラブ首長国連邦の投資家と意気投合。彼のワイナリーはベジエに近く、ベジエのクラブチームが財政難で苦しんでいたことから「買収して、世界レベルの一流選手やコーチを集めて、ベジエを再びヨーロッパ1のチームにしよう!」と、全ての時間と全てのエネルギーを注いでいた。しかしチームを運営するために十分な財政保証書類が提出できず、リーグの監査機関から却下され、メディアやSNSで批判を浴びた。この夏のことだ。

 最初に事故が伝えられた時は、「建物の屋根から飛び降りた」と報道され、ベジエ買収の件もあり、自殺の見方もあったが、その後の警察の調査で、屋根から飛び降りたのではなく、建物に沿った高架道路の脇を歩いていたことが目撃者の証言でわかった。「坂になった高架道路の歩道を歩いていて、急に歩道の向こうに落ちて行った」
 歩道には腰より少し低めのコンクリートの防護柵があるが「柵によじ登ったりしていなかった。ただ急に体が傾き、歩道の向こうに落ちて行った」と言う。これで意図的に飛び降りたという説は弱くなった。

 ラポルト会長は、彼が亡くなる前の週も電話で話しており、「代表チームの活躍が嬉しい。しかもそのコーチと俺は一緒にプレーしたんだ!」と喜んでいたという。

 代表チームはオータム・ネーションズカップ終了後に、今年1年を総括した動画を発表した。2023年のワールドカップ開催地が発表されるシーンから始まり、スタッフの立ち上げ、今年の試合と続き、字幕で「歴史を書き続ける、応援してくれるみんなのために、彼のために」とドミニシにオマージュを捧げている。そして「これはまだ始まりでしかない」というフレーズで締めくくられる。