上位進出はなかなかできない。それなのに、トップリーグの中で存在感を示し、支持者が多い宗像サニックスブルース。
その理由のひとつが、所属する選手たちが個性的であることだ。
2012年に入団したSO福﨑竜也も、そのひとりだ。
2019年度シーズン限りで勇退するまでの8シーズンで17試合、トップリーグの舞台に立った。SHでもプレーできるから、頼りになった。
ニュージーランドのロトルア・ボーイズ高校からチームに直接加わった。ラグビー王国で身につけた高いスキルがプレーを支えていた。
社会人チームでプレーをしていた父・誠司さんの影響を受け、ラグビースクールで楕円球を追い始めた。
中学時、「ニュージーランドに行ったらいいのでは」と父の勧めを受け、少しの期間、現地へ渡る。結果、気に入った。自分で高校進学を決めた。
ラグビーを思い切りやりたい。英語もしっかり身につけたい。
その条件に合ったのがロトルア・ボーイズ高校だった。
「当時、日本人の生徒は誰もいなかったので選びました」
1年後には新しく一人の日本人留学生がやってきたのだが、最初の3か月こそホームステイも、その後は学校の寮に住んで青春時代を過ごした。
渡航してすぐの1週間は大きなストレスを感じたけれど、すぐに楽しくなった。
寮生活が始まってからは常に仲間の輪の中にいて、喋り、英語のシャワーを浴びた。当然、コミュニケーション能力は高まった。
「ラグビーは、休み時間になればタッチフットをやるなど、とにかくボールに触れる時間が長かったからスキルは高くなりました」
語学習得においても、ラクビーへの熱中にも、「環境が良かった」と振り返る。
のちにオールブラックス のSHになったテトイロア・タフリオランギはチームメートで、ともに戦った仲間だ。
ベイ・オブ・プレンティ州のU15、U16代表に選ばれた。U18代表はケガに見舞われるも候補入り。高校の先生に「もう1年プレーしないか」と誘われ、結局4年間高校に在籍した。
高校卒業後、帰国して宗像サニックス入り。「8年間もプレーさせてもらい、チーム、関係者、仲間たちには感謝の気持ちしかありません」と話す。
ただ、「これからもプレーを続けていきたい」気持ちがある。
波の音が聞こえる玄海グラウンドでまだ日々を過ごしたかった。でも、勝利を目指す集団だ。チームの描く構想が最優先と理解できる。
「最初の4年間は、フィジカルの強さなどが足りず、なかなか(トップの)試合に出られませんでした。その間も(力をつけるのを)待ってくれたのだから感謝です」
このチームで得た経験を新天地で活かせたらいいな。
そう願っている。
17戦のトップリーグ出場試合のうち、強く記憶に残るのはマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた2016年12月11日のトヨタ自動車戦だ(岐阜・長良川球技メドウ)。
背番号10を付け、80分ピッチに立つ。
15-14の接戦を制したゲームで、その働きが評価された。
前半29分過ぎの先制トライは、自陣深くでターンオーバーしたボールを、この人が仕掛けたところから生まれた。
後半12分過ぎには自ら抜いてインゴールに入った。
「2連敗した後で、メンバーを組みかえて臨んだ試合でした。チャンスが回ってきたので、よし、と。積極的に動けたし、一貫して良いプレーができた」
好機を逃したくないと集中力高く戦った。
自分の持つ力をあらためて知ることができた。自信と周囲の信頼を得た。
ニュージーランドでの生活や、トップリーグで輝いた日を通して、環境や状況は、人に大きな影響を与えると実感した。
プロ選手として個々が日々努力を積み上げるチーム環境は、自分に合っていたと思う。
きらびやかな経歴を持つわけでもない選手たちが、そうやって力を蓄え、それがブルースの基盤を支えていたことも知っている。
新天地とは、まだ出会っていない。
しかし、豊富な経験があるのに、まだ26歳だ。
大好きでたまらないラグビーをもっと続けたい。チャンスをつかむために動き回る。