垣永真之介
(東福岡高―早大―サントリー)
シンノスケはオトコである。
いや、男の中の男なのだ。いわゆる『ザ・マン』。だって、ラガーマンで、プロップで、耳がつぶれている。
師走の某日。枯れ芝の秩父宮ラグビー場。トップリーグで初先発したサントリーの3番、垣永真之介にストレートに聞いた。もう何人ものプロップに投げてきた、お決まりの質問だった。「ギョウザ耳とは?」と。
心優しきプロップはきっぱりと答えた。
「オトコです」
それは、もちろん、分かっています。オンナではありませんよね、と突っ込んでみた。すると、はははと笑ってくれた。
垣永はこう、コトバを足した。
「勇気を振り絞ったオトコがもらえる勲章です」
凡人のコトバだとこちらが恥ずかしくなるようなフレーズだけど、日本代表のホープのそれなら納得がいくのである。壮大な骨格と、やわらかそうな筋肉。運動神経が発達しているのだろう、バックスのごとき、うまいハンドリングも時折、フィールドで披露する。
正直、プロップにとって、もっとも大事なスクラムはあまり好きそうではなかった。だが、社会人になって変わった。好き嫌いはともかく、スクラムにこだわるようになった。
このサントリーで初先発した東芝戦の最中、こんなことがあった。垣永がスクラムを組む前、大声を発したのである。周りはさぞ、驚いたことだろう。
サントリーの大久保直弥監督が「何を叫んでいるかは聞こえなかったんですけど、うちにはいなかったキャラクターですね」と笑えば、スクラムで垣永のうしろに付くロックの真壁伸弥キャプテンはこう、証言した。「たしか“人生かけるぞ〜”って言っていた」と。
スクラムに人生をかける。ギョウザ耳のプロップが全身全霊を傾け、己のパワーと体力と知恵をトイメンにぶつけるのである。伝説の名プロップ、天国の「ほらさん」こと洞口孝治さん(故人=元新日鉄釜石)に聞いていただきたいコトバじゃないの。
垣永本人に何を叫んでいたのかを聞けば、「とくに…。“いこ〜”とかじゃないですか」とかわされた。もしも、無意識で「人生…」と叫んでいたのなら、なおすごい。
「チームが劣勢に立った時、いまいち、盛り上がっていない場合があるんです。そこで声を出し続ける。それこそ、コトバは何でもいいんです。声を出し続けることで、その声に触発されて、チームにエナジーがでればいいなと思っているんです」
で、本題。
ギョウザ耳のストーリーである。
ラグビーは幼稚園の時、神奈川の鎌倉ラグビースクールで始めた。先生から「太り過ぎているのでスポーツをやらせたほうがいい」と親が助言を受けて、垣永は楕円球を追いかけることになったそうだ。
小学校の時、父親の転勤で福岡に転居し、名門の草ヶ江ヤングラガーズに移った。小学校6年の時、体重が90キロほどあったそうだ。でかい。とても、でかい。
中学時代、ソフトボールもやっていた。ポジションはキャッチャー。でも、やがてラグビーの道に専念してくれた。強豪の東福岡高校に進み、3年生の時、キャプテンで日本一に輝いた。高校からずっと3番だった。
早稲田大学に進学し、スクラムで何度か、地獄をみた。意外にも、耳は綺麗なものだった。でも、摩訶不思議。大学3年生の夏合宿、モール練習で両方の耳が一発でふくれた。
「いきなり、でした。両方の耳の血を毎日とって、白いテーピングテープをぐるぐるまいて、練習は続けました。モールでふくれ、スクラムでもふくれ…。毎日、血をとっていたのですが、ダメでした。ぶつかったら、痛かった。ずっと痛かったですね」
試合に負け、3年生のシーズンが終わる。そのオフ、ギョウザ耳は確立された。
「そうやって、今があるのです。周りからみると、(ギョウザ耳は)変ですよね、きっと。あまり、世間体はよくないです。時々、柔道をやっている人ですかと言われます」
これは、ギョウザ耳になった人にしかわからないけれど、血が固まるまで、コトバでは表現できないほどの激痛が続くことになる。よくぞ、我慢した、と思う。
「激しいプレーをすれば、こういうことになるんです。“大人の仲間入りをしたな”っていう感じでした」
キャプテンとなった大学4年の時は、大学選手権決勝で帝京大に敗れた。スクラムは押していたのに、相手にうまくかわされた。我が身の未熟さを知り、サントリーではフィジカルアップから改めて始めた。
日本代表にも抜てきされた。先の欧州遠征は衝撃だった。“スクラム命”のグルジア代表にコテンパにやられた。「世界のレベルのスクラムを知った」と垣永は述懐する。
「身のほどを知ったというか…。スクラムで、僕が落ちたら、どんだけ僕の首が曲がっていようが、押し続けてくるんです。ほんとうに殺しにくるんじゃないかって。そういう意味での残酷さと激しさを学びました」
何といっても、グルジアとは、からだのサイズとパワーが違った。それを肌で知って、帰国後、筋力トレーニングの量を増やした。毎朝6時半から30〜40分。仕事をして、午後の練習前と練習後にも40分ほどずつ、筋トレに励んできた。1日3回、トータル2時間ぐらい。
世界クラスのプロップを山のてっぺんとしたら、今、どのあたり? そう聞けば、垣永は右手の平を地面あたりに持っていった。
「まだ一番下あたりです。でも、これから登れるということです。伸びシロを自分で感じながら、努力していきたい」
12月19日、23歳の誕生日だった。座右の銘が『人の為』。大学1年の時と同じ質問を再び、ぶつけてみた。「スクラム、好きですか?」と。
ふっと笑った。「嫌いです」と小さく漏らした。「でも」と、焼き肉を好むプロップはコトバを足した。
「野菜みたいなものです。嫌いですけど、野菜は食べなきゃいけないみたいな。肉を食べるけれど、野菜も食べるんです」
どうぞ野菜(スクラム)をバリバリと食べてくれ。2015年はワールドカップイヤー。海外の巨漢どもをどーんと押して、勝利をもぎ取ってくれ。
男・シンノスケとくればギョウザ耳、いや男・シンノスケとくればスクラム。フィールドプレーはうまいけれど、地味な仕事ぶりもよかと。「スクラムがバリすごか」(博多弁)。いつか、そう原稿に書きたいのである。
2014年12月26日掲載
※ 『ギョウザ耳列伝』は隔週金曜日更新
【筆者プロフィール】
松瀬 学(まつせ まなぶ)
ノンフィクションライター。1960年生まれ。福岡県立修猷館高校、早稲田大学のラグビー部で活躍。早大卒業後、共同通信社に入社。運動部記者として、プロ野球、大相撲、オリンピックなどの取材を担当。96年から4年間はニューヨーク支局に勤務。2002年に同社退社後、ノンフィクションライターに転身。人物モノ、五輪モノを得意とする。『汚れた金メダル 中国ドーピング疑惑を追う』(文藝春秋)でミズノスポーツライター賞受賞。著書に『日本を想い、イラクを翔けた ラガー外交官・奥克彦の生涯 』(新潮社)、『ラグビーガールズ 楕円球に恋して』(小学館)、『負げねっすよ、釜石 鉄と魚とラグビーの街の復興ドキュメント』(光文社)、『なぜ東京五輪招致は成功したのか?』(扶桑社新書)など多数。