ラグビーリパブリック

ギョウザ耳列伝 vol.8 笠井建志

2014.11.14
我慢のタネが詰まったギョウザ

笠井建志
(東京・本郷高 ― 法大 ― 東芝)

 あれ。
 こんなところに。
 最近、そういう場面が多くなってきた。大学時代のラグビー部の同期がラグビー部長を務める日野自動車の試合を取材にいった。
 とある土曜日。秋のオレンジ色の夕日の中、懐かしいプロップと会ったのである。かつての東芝の3番。日本代表のスクラムの支柱をしばらく、つとめたこともある。
 「カサイさん?」
 どうして、こんなところに。そう聞けば、柔らかい笑顔で答えてくれた。
 「ここのFWコーチをやっているんです。ええ。去年から」
 笠井建志さんだった。東芝では、1999年から2012年まで、13年間プレーしていた。一昨年春、現役を退き、東京・本郷高校の先輩の砂泊光一郎ディレクターに頼まれ、日野自動車ラグビー部の強化を手伝うことになったそうだ。
 東芝の鉄道営業部で働きながら、平日の夜、あるいは土曜日、日曜日には東京都日野市のグラウンドに駆けつけ、指導にあたっている。

 奇遇である。僥倖(ぎょうこう)である。恥も外聞もなく、唐突に聞いた。「耳、つぶれていますよね?」と。
 気色ばむ38歳の元プロップに近づき、耳を凝視すれば、立派につぶれていた。ホッとしながら、その切ないストーリーを聞こうとした。が、そこに、子どもが寄ってきた。
 「パパ〜」
 なんと、笠井さんの長男だった。なるほど、どこか似ている。
 「いくつ?」
 「8歳」
 小学校2年生だった。人懐っこさは父親譲りである。
 「おとうさんの耳みたことある? 普通の人より、でかいでしょ」
 「うん。知っているよ。血がたまっているんだもの」
 「カッコいい?」
 「わかんない」
 そりゃそうだ。父親のギョウザ耳を見て、「カッコいい」なんて言う子どもはいないだろう。愚問だった。
 ここが潮時と思ってか、笠井さんがぼくらの間に割って入ってきた。
 「ほら、もういいだろ。向こうにいってろ。ママに言って、クレープを買ってもらえ」
 長男がダーッと走っていく後ろ姿を眺めながら、背筋を伸ばして聞いた。「耳はいつ、つぶれたんですか?」と。

 笠井さんは東京都出身。中学校までは、柔道をしていた。立ち技が得意なこともあって、耳は綺麗なものだった。だが、本郷高校に進学し、ラグビー部に入って、状況が一変する。最初のポジションはロックだった。
 「えらく練習がきつくて。本郷はモールを武器としていたので、激しいモール練習をしていたら、知らずと(耳が)湧いていました。最初は右です」
 1年生の夏合宿前には、もう右は「ギョウザ耳」に変形していた。
 「痛くて、痛くて。近くの整形外科で血を抜いてはいたんですけど、すぐにまた膨れ上がるじゃないですか。白色のタオルでワッカ(輪)つくって、つぶれた耳にあてて、ヘッドキャップをかぶっていました。色? 白色のヘッドキャップです。昔ながらの」
 そのうち左耳も変形してきた。ただ右耳のほうがぶつかる頻度が多かったのだろう、変形度は右耳の勝ちである。

 ギョウザ耳になって得たもの?ってありますか、と聞いてみた。
 「我慢強さですね」
 ふ〜っと大きなため息をついた。そう、スクラムは耳ではなく、心で組むのである。
 「我慢強さ。それがあったから、長くラグビーができたのかなという部分はありますね。その痛さって尋常ではありませんから」
 例えれば、どんな痛さでしたか?と問えば、「男だったら、○○○○を…」と笑った。ダメです。そんな表現は。
 「小指を何かの角に突然ぶつけた時の痛みがずっと続く感じでしょうか。じんじん、じんじんと。その耳の痛みを止めるには、ラグビー部を辞めるしかなかったのです。でも、辞められない。ぼくは痛みとともに成長したんです、きっと」

 高校1年生の夏合宿では、疲れで痛みを忘れがちになった。合宿では、機械的にワッカを耳につけて、グラウンドに出ていた。高校2年でプロップにポジションが替わり、ギョウザ耳は固まった。法大では、ギョウザ耳にそう変化はなかった。
 「東芝に入って、モール練習やり始めたら、(ギョウザ耳は)レベルアップしました。ガチンコの練習でしたから」
 想像するだけでもおぞましいのが、東芝のモール練習である。いまも日本代表で活躍する大野均らと、連日、バトルを繰り返した。指を逆に折り曲げたり、鼻の穴の中に指を突っ込んだり…。ヘッドキャップは絶対、付けていた。そうでないと、ギョウザ耳の突起がひっかかって切れるからである。

 そういえば、青色のヘッドキャップは笠井さんのトレードマークだった。ギョウザ耳で得したことはありますか? 笠井さんはじっと、考え込んだ。
 「ある、ある。子どもには人気ありますよね。子どもを保育園に送りにいったりしたら、他の子どもが集まってきて、聞いてきますよ。なんで、耳が違うのって。ははは。ラグビーやっていると、こうなっちゃうんだよねって説明しますけど。ま、“子ども受け”はいい」
 女性にも受けるでしょ。そう、誘い水を向ければ、「コアなラグビーファンにはたまに受けますね」とまた笑った。一緒にテーブルを囲めば、さりげなく右のギョウザ耳が相手に目立つよう、ハスに構えて座るそうだ。
 「冗談です。気持ち悪いと言われることのほうが多いですよ」
 ギョウザ耳は、スクラムやモールでファイトしてきた証でもある。ギョウザ耳とは、笠井さんにとって何ですか?
 「なんだろうな、マジメに人生とか言ったら、つまらないだろうな。でも、ぼくの人生が凝縮されているものです。ぼくの我慢のタネが詰まったギョウザです」
 陽が沈んだ。薄暗い中を、長男が再び、駆け寄ってくる。
 「パパ〜」。
 痛みが我慢強いオトコをつくる。激烈なスクラムで鍛えられ、苛烈なモールで戦ってきたギョウザ耳の父は実に頼もしいのである。

(文:松瀬学)

2014年11月14日掲載
※ 『ギョウザ耳列伝』は隔週金曜日更新

【筆者プロフィール】
松瀬 学(まつせ まなぶ)
ノンフィクションライター。1960年生まれ。福岡県立修猷館高校、早稲田大学のラグビー部で活躍。早大卒業後、共同通信社に入社。運動部記者として、プロ野球、大相撲、オリンピックなどの取材を担当。96年から4年間はニューヨーク支局に勤務。2002年に同社退社後、ノンフィクションライターに転身。人物モノ、五輪モノを得意とする。『汚れた金メダル 中国ドーピング疑惑を追う』(文藝春秋)でミズノスポーツライター賞受賞。著書に『日本を想い、イラクを翔けた ラガー外交官・奥克彦の生涯 』(新潮社)、『ラグビーガールズ 楕円球に恋して』(小学館)、『負げねっすよ、釜石 鉄と魚とラグビーの街の復興ドキュメント』(光文社)、『なぜ東京五輪招致は成功したのか?』(扶桑社新書)など多数。